墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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二ケ領用水宿河原取水口 神奈川県川崎市多摩区宿河原

前回の続き。

「切通し上」の停留所で少し待って登戸駅行きのバスに乗って、グーグルマップ上で位置確認をしながら進み、目星をつけた宿河原小学校前で降りて北へ歩いて「しんふねしまはし」へ。

 

 川沿いの道からは目線に花。

 

水面に近い散歩道があった。

 

板の橋から上流方向。多摩川からの流れ。

 

下流方向。3kmほど先で平瀬川の下をサイフォン原理で抜け、久地円筒分水へつながる水の流れ。

 

満開まであと一歩か。それでも見事な桜トンネル。

 

地図子さんの「多摩川桜百景」シリーズを見て気になっていたスポットでした。

http://chizuchizuko.hatenablog.com/entry/tamagawasakura17

 

夕日に映えます。

 

その先に、二ケ領用水と宿河原堰取水口についての解説板があった。

二ケ領用水
多摩川の水を取り入れ、わたしたちの祖先が汗水たらす苦労と、十数年の歳月を費やし、稲毛領から川崎領に至る二ケ領(現材の多摩区から川崎区まで含む地域)にわたる農業かんがい用の水路として、慶長16年(1611)につくられたものです。別名「次大夫掘」とも呼び、工事を指揮監督した小泉次大夫の功績を今に残しています。その後、享保9年(1724)に田中休愚が行った大改修工事をへて、今日の用水路の基礎が完成しました。
この用水は多摩川流域ではかんがい面積の最も大きな用水で、最盛期で約2880町歩(約2850ヘクタール)にも及びました。そして農業用水及び飲料用水のほか工業用水としても利用され、日常生活に欠くことのできない大切な水路として管理されてきました。
わたしたちも、このような歴史的に由緒ある二ケ領用水を子孫にすえながく引き継いでいきたいものです。

宿河原堰取水口
二ケ領用水は、多摩川から二ヶ所で水を取り入れています。その一つがこの宿河原堰取水口とここから3.5kmほど上流の上河原取水口です。
当初の二ケ領用水宿河原掘は、多摩川が蛇行していたことにより、現在の取水口から約800m下流にある、八幡下橋付近(多摩区宿河原6丁目地先)にありました。後に、現在の取水口付近に、竹製の蛇籠(じゃかご)で築造されたニケ領宿河原堰が設置されました。昭和24年(1949)には神奈川県がコンクリート製の堰に改築しました。その後、昭和49年(1974)の台風16号の影響により、多摩川の激流がニケ領宿河原堰の固定堰に妨げられ、狛江市の堤防が決壊しました。現在の堰は、この狛江水害を機に、建設省(当時)と川崎市の共同により治水安全の向上と水辺環境等の配慮のため、平成11年(1999)に改築されました。
川崎市

 

取水口の上から多摩川方向。

 

横からみた取水口。

 

車の通る堤の下に川のトンネルがある。

 

川面の桜。

 

多摩川の宿河原堰。左の上流側が水位が高い。

 

水位が上がることによって、左への二ケ領用水へ水が流れる。

 

近くで見ると、結構な水位差。

 

魚の道も整備されていた。

 

二つの塔屋の間の堰は、緊急時は下げる(上げる?)のだろう。

 

多摩川下流方向。

 

堰のそばに二ヵ領せせらぎ館があったが、閉館時間を過ぎていた。

 

二ケ領用水取水口の西側から。 

 

心やすまる水辺の風景を楽しめました。

そのまま多摩川右岸の堤を上流に徒歩10分で登戸駅着。