墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

石橋供養塔(二ヶ領用水) 二子塚古墳跡 神奈川県川崎市高津区坂戸・二子

前回のつづき。

高津区諏訪の2つの古墳を見た後、グーグルマップの「石橋供養塔」とそこから西にくねる緑の帯が気になって、そちらの方へ。 

 

府中街道から南に入ると、現在の二ヶ領用水。久地円筒分水から2kmほど流れてきた地点になる。上流側にはおそらくしだれ桜。

 

下流方向。

 

橋の南側に石碑があった。

 

寛政五年(1793)の文字が読める石橋供養塔。

 

川崎市の説明板もある。上部のデザインは久地円筒分水のようだ。

この緑道が、かつて二ヶ領用水の本流だった。寛政5年ここにかけられた石橋は二子方面と結ぶ大切な橋で、当時の供養塔が残っている。昭和16年、用水は今の流路のつけ替えられた。

 

昔の流路は散歩道になっていた。

 

気持ちのよいカーブ。水になった気分。

 

道沿いには小公園も。

 

秀逸なデザイン。

 

その先で、桜の大木が並ぶ場所があった。満開時に再訪したい。

 

そこで気になる標柱を発見。

 

「二子塚跡」が記されている。グーグルマップにも表示があったが見落としていた。

 

マップに従って二ヶ領用水を再び北へ。

 

古墳跡の碑が立つ小公園。子供たちが一心に遊んでいた。

 

堂々とした石碑。

 

michikusa520さんのサイト(滋味コフン)によれば、この少し南側に大正時代初めまでは全長60mの前方後円墳があったそう(墳丘の位置も記されています)

発掘もされたと伝わり、勾玉や耳環、鈴釧などが出土したものの現在は所在不明のようだ。

http://michikusa520.blog.fc2.com/blog-entry-102.html

 

石碑の西側に、フェンスで囲まれた古いバスがあった。

 

現地では由来がわからなかったが、上記のサイトにて、昭和42年まで活躍していたトロリーバスと知った。

 

バスの囲いを西側から。元々墳丘が築かれていた場所は道路の右側になる。

 

その「右側」の駐車場にあった梅の木。華やかに咲いていた。