11月25日の土曜日、新座市にある平林寺を訪ねた。
NHK天気予報で紅葉の名所として”見ごろマーク”が出ていたので。
入口の総門を外から。
屋根は重厚な茅葺き。
入山志納料は一般500円。9時から16時半まで開門。
http://www.heirinji.or.jp/about/access.html
子供の頃に家族で一度訪ねたことがあったはずだが記憶の彼方。
紅葉の季節に行ったのは初めて。
百人一首の「もみじの錦」の句が思い起こされた。
平林寺の歴史についてはお寺のサイトに詳しい。
http://www.heirinji.or.jp/about/
永和元年(1375)、現在のさいたま市岩槻区に石室禅師が開山。
秀吉の小田原攻めの際に多くの伽藍を失うが、家康が天正20年(1592)に駿河から鉄山禅師を招いて復興となった後、川越藩主となった松平伊豆守信綱の遺言で寛文3年(1663)に現在地へ移り、明治期に禅道場として僧堂が開かれ、関東を代表する妙心寺派専門道場となっている、とのこと。
山門は岩槻から移築されたものだそう。築350年。
堂々とした仏殿。
仏殿も見事な茅葺き屋根。
山門のあたりは観光客で大賑わいだったが境内林は40ha(TDLの8割程)もあり、少し入っただけで静かな雰囲気になった。
朝の早いうちに訪ねたので、横から差し込む光がきれいだった。
方生池から。境内の周囲には玉川用水から分水した野火止用水が巡らされているが、水はそこから通じている。
「もみじ山」のあたり。
もみじ山は山門から左へ、推奨ルートを進んだ先になる。
一段と赤かった一本。
地面も赤かった。
その先はクヌギやコナラの「武蔵野」
雑木林としては唯一、国指定天然記念物を受けている。
頭上の様子。
しばらく進むと、円墳のような塚が現れた。
説明板があった。
野火止塚(九十九塚)
この野火止塚は、和名抄に見る火田狩猟による野火を見張ったものか、焼畑耕法による火勢を見張ったものか、定かではないが、野火の見張台であったとする説が有力である。それは、この塚が古くからこの平野の名所にあって、その名残りを留めていた事でも判る。
新座市のサイトにも解説がある。
http://www.city.niiza.lg.jp/site/niiza-kenbunroku/bunkazai-kenbun001.html
頂上に「野火止塚」と刻んだ石碑が見えた。
パノラマで。
その近くに、アカマツの明るい林がある。
林の奥にもうひとつの塚が。
業平塚(なりひらづか)とあった。
業平塚(在原業平が京より東口への東くだりの折、武蔵野が原に駒を止めて休んだという伝えがある)
江戸名所図会によると、野火止塚(九十九塚)と同じく、古へ野火を遮り止むるために築きたりしもののなるべきを、後世好事の人、伊勢物語によりて名付けなるべし。塚上石碑を建てて和歌の一首をちりばめたり。その詠にいわく「むさし野にかたり伝えし在原のその名を忍ぶ露の古塚」とあるが、この歌碑は今はない。
こちらの「滋味コフン」さんのサイトに、どちらも古墳ではないことが判明しているが元は焼畑を伝えた渡来人の墳墓ではなかったかと妄想してしまう、とありましたが全く同じ気持ちです。
http://michikusa520.blog.fc2.com/blog-entry-63.html
塚のあたりから更に奥へ向かうと人はかなり少なくなった。
人が少なかったのは、山門脇の案内図では山奥に向かうように見えるからかも知れない。
緑の中の紅葉。
歴代塔所(れきだいたっしょ)は歴代の住職が眠る墓所。
緩く傾斜する道。
その”トンネル”の天井。
立入禁止エリアの林泉境内、本堂裏手の建物を塀越しに。
そのあたりの頭上の様子。
紅葉を堪能させていただきました。
平林寺へのアクセスは、志木、朝霞台、東久留米、ひばりヶ丘、新座、北朝霞の各駅からのバス停「平林寺」まで、15分~20分となる。お寺には一般向けの駐車場はない。
入口は一ヶ所で南東側。
新座駅から歩いたら、道を間違えて(歴史と自然を巡るコースを辿ってしまって)境内外縁を一回りしてしまった。