墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地) 奈良県奈良市法華経町

前回のつづき。

航空自衛隊奈良基地の門を過ぎると、すぐにウワナベ古墳の濠が張り出した部分・ウワナベ池の脇に出た。

 

周濠の一部が、まるで「古墳の造り出し」のように飛び出している。

 

左に後円部、中央やや左がくびれ部か。

 

道は、ほぼ直角にカーブして前方部方向へ。

 

奈良盆地東縁の山並みも遠望できる。

 

前方部の左下の角。

 

左が後円部方向。右は前方部の下縁の直線部分。

 

道路の右手に南向きにあった祠。 その先の街並みを見ると濠の水面の方が高いことがわかる。

 

前方部下縁の縦中心軸の対岸あたり、陵墓であれば拝所が設けられる位置で参拝。

濠の幅は65m位か。

 

ウワナベ古墳の全長は255mあって全国13位の大きさになる。

後円部直径130m・高さ20m、前方部幅129m・高さ20mの墳丘は三段築成で西側のくびれ部に造り出し部を持つ。

葺石と円筒埴輪列の存在が確認されており、周囲に二重の濠がめぐらされていたことがわかっていて、築造時期は5世紀中ごろと推定されている。
古市古墳群や百舌鳥古墳群と共通点が多く、河内の大王陵と密接な関係がある古墳群と考えられているそうだ(以上は下記の奈良県のサイトより)

https://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0105.html

 

上記サイトには被葬者不明とあるが、Wikipedia「陵墓参考地」によれば、このウワナベ古墳の被葬候補者は仁徳天皇の皇后・八田皇女(やたのひめみこ・やたのおうじょ)となっている。

皇后となったのは先妻の磐之媛命(いわのひめ)が亡くなった後だが、仁徳天皇は磐之媛命が皇后であった時、皇后が留守の間に八田皇女を後宮に招いたので磐之媛命は激怒して二度と戻らなかったという(Wikipedia「磐之媛命」の項)

 

ウワナベ古墳と航空自衛隊奈良基地を挟んで隣り合うコナベ古墳は、前妻の磐之媛命を被葬候補者としている(その隣のヒシアゲ古墳も同じ磐之媛命を被葬者としているが)

 

調べていくとウワナベは古語のウワナリ(後妻の意)が、コナベはコナミ(前妻)が訛ったものであることを知った。

 

日本最大の古墳を築造した仁徳天皇であれば、先妻も後妻も隣合わせで巨大古墳を造ってしまうこともあり得るような気がするが、事実はどうなのでしょう・・・

 

ちなみに「うわなり」を検索すると、コトバンクで「後妻打ち:うわなりうち」がヒットし下記の解説があった(世界大百科事典 第2版)

前妻が親しい女たちをかたらって後妻を襲い、家財などを打ちこわしらんぼうをはたらくこと。うわなりとは古語で前妻を意味する〈こなみ〉に対する後妻、次妻に相当し、また第二夫人、妾を指すことも多い。一般に刃物は用いず棒や竹刀で互いに打ち合うとされる。平安時代にもみられるが、室町時代に多く行われたとされ《昔々物語》《骨董集(こつとうしゆう)》などには、主に武士や町方における行為が記されている。一人の男性をめぐる複数女性間の対立、嫉妬に由来するわけであるが、これは夫の一時的訪婚をともなう婚姻形態(聟入婚)と関連すると考えられる。

 

うわなりには「嫐」という字もあって、後妻打ち(うわなりうち)は歌舞伎十八番の主題にもなっている。

 

実は次の日に、天理市主催の古墳ツアーで「ウワナリ古墳」を訪ねたのだが、このエントリを書いている時点で名前の由来を初めて認識した。 

 

周堤の南側にあった、雰囲気のある日本家屋。

 

そのあたりから北側。濠を含めた長軸の全長はマップで見ると380m程になる。 雄大な眺め!

 

ズームで。中央がくびれ部。その左が前方部で右が後円部。

 

振り返って前方部下端の周濠。日没間際だった。

 

 周堤の端から。右が濠の水面。

 

奈良バイパスに出て南に向かっていると、奈良市立一条高校の壁に「日本最初の公開図書館・芸亭(うんてい)伝承地」があった。

芸亭(うんてい)
芸亭は今から1200余年前、奈良期のころ大納言石上宅嗣卿(いそのかみやかつぐ)が邸宅を提供して阿閦寺(あしゅくじ)とし、その一隅に設けたわが国最初の公開図書館である。そこには数多くの儒書等を備え、好学の人々に自由に閲覧させたと続日本紀に書かれている。
芸亭の位置については、古来多くの学者によって研究されてきたが、現在では一条高校付近だといわれている。
奈良県図書館教会では宅嗣卿の業績を讃えるとともに、芸亭の存在を広く世に認識され、その趣旨が今に生かされるよう、ここに顕彰柱を建ててながくこれを記念するものである。
昭和46年10月28日 奈良県図書館協会

 

そのすぐ南の「法善寺東」交差点の歩道橋から。ちょうど生駒山に日が沈んだところだった。

後で知ったが、真下を通る県道104号・44号線は、かつて平城京東大寺を結んでいた一条南大路で、上記と背面の東にまっすぐ進むと東大寺転害門に突き当たる。

 

そのまま近鉄の新大宮駅まで歩いた。ウワナベ古墳から徒歩17分。

タクシー乗り場がある駅だったので、JR奈良駅まで乗った。

 

最後に訪ねた3基を古い順に並べると以下のようになる。

・コナベ古墳 5世紀前半 全長204m(全国34位) 

・ウワナベ古墳 5世紀中頃 全長255m(全国13位)

・ヒシアゲ古墳 5世紀中葉~後半 全長219m(全国24位)