さぬき市の富田茶臼山古墳は全長139mの四国最大の前方後円墳。
駐車場の向かいにある看板と、後円部先端側を。
グーグルアースでも後円部を東に向ける鍵穴形がよくわかります。上記駐車場は右下のみろく通池公園のもの。
後円部先端側からのアプローチ。
小山のような高さです。
後円部墳頂へ。
祠と櫓がありました。
説明板も。
富田茶臼山古墳
富田茶臼山古墳は、5世紀前半に造られた四国最大の前方後円墳です。
平成元年に行われた確認調査によって、全長は139m、後円部の直径91m・高さ15.7m、前方部の長さ48m・幅77m・高さ11.8mの大きさであり、四国最大の古墳であることが改めて分かりました。また、墳丘は3段に築かれ、古墳の周囲に周濠がめぐらされていることも分かりました。さらに墳丘や周濠から円筒埴輪や形象埴輪などが発見されました。
この古墳の西側も平成5~8年にかけて調査が行われ、3基の陪塚が確認されました。陪塚とは、大型の古墳を主墳とし、それに従属するように同じ時期に計画的にその周囲や隣接地にある小型の古墳です。陪塚の大きさは1辺14~24mあり、3基とも四角い形をした方墳です。
これらのことから富田茶臼山古墳は、四国を代表する首長墓であることが分かります。
さぬき市教育委員会 さぬき市文化財保護協会
北は下。前方部側に陪塚(方墳)が3基確認されたそうです。
後円部から前方部方向(西)の素晴らしい眺め。雄大です。
讃岐平野の手前にある長尾平野の東端の立地。
鞍部から前方部。年季の入った木製鳥居が。
鞍部から後円部側を。結構比高差があります。
前方部上は草が繁茂。
そこから南側の眺め。奥へは山になります。
セイタカアワダチソウの中を進んで、前方部先端から振り返った後円部側。
前方部右裾側。
前方部左裾側。津田川を挟んで向かいの山裾までは1㎞もありません。
前方部右裾の降りて墳丘全体を。右の木立が後円部。
南側の周濠。右からの斜面を掘り込んでいる感じです。
前方部左裾側から。左奥へ後円部です。
北側の道路から、広角で。
道路の対岸に、古墳名を記した大きな標柱があります。
地図で見ると、平野の東を守るような立地。
文化遺産オンラインの解説には、「本古墳は津田湾から長尾平野に至る要点を占め、津田湾を掌握し、高松平野に連なる長尾平野を治めた被葬者の支配領域と経済的基盤が推測される」と記されていました。