前回のつづき。
鵜の木駅から電車を乗りついで、東急大井町線の九品仏駅で下車し、環八通りの南側に残る2基の古墳を訪ねた。
環八通りを越えると全体が多摩川に向かって下る斜面になる。この多摩川沿いの台地の縁に、古墳が点々と連なっている。
住宅街を少し回り道しながらのアプローチ。ここは右へ。
滑り止めの模様がついた坂道が多い。ここは坂道を左に見ながら通過。
左から降りてきて右の道を降りた。間の石碑には「左 籠谷戸 右 多摩川」と刻まれている。
籠谷戸で検索すると、そこから500mほど南東にある田園調布八幡神社のサイトがヒットした。田園調布八幡神社
神社が創建された鎌倉期、そこは篭谷戸(ろうやと)と呼ばれる多摩川の入江に面し、物資を積んで盛んに出入りする舟を監視できる港の入口に突き出した台地であり、台地上には鎌倉街道が通る要衝の地であったとのこと。
その重要性は古墳が築かれた時代から変わっていなかったのでは。
右 多摩川の道を下っていくと、八幡塚古墳がある丘へ上がる道があった。
駐車場の脇を進んでいくと、古墳の表示があったが立入禁止。
ズームすると奥に墳丘への石段が見えた。
こちらの古墳なうさんのサイトに許可を受けて墳丘へ上がられた写真がある。
平成7年(1995)に墳丘上で直刀が見つかって調査が行われ、復元長約33m、後円部直径約30m、高さ約4mの円墳で、幅約7.5m、高さ約1mの造出部を持つ造出付円墳と考えられているとのこと。
その先へ回り込んでいくと、宇佐神社があった。
拝殿の後ろの本殿は背後の斜面上にあった。
拝殿の右後ろの上部は墳丘の一部か。
拝殿から南側。お寺と塔の先が見えた。
お寺の方へ歩き出したら視線を浴びた。
すたすたと近づいてきてすれ違って。
急に大の字になった。
後ろの山が八幡塚古墳。古墳と猫に別れを告げて。
斜面下の伝乗寺へ。
伝乗寺の墓地越しの八幡塚古墳の木立。
少し小さめだが、立派な五重塔があった。
境内から見上げると大迫力。
そこからさらに西へ進み北に坂を上ると古墳、と地図にある。
この坂かと思いつつも、もう一本先の道へ。
木立が見えたので、この坂を上った。
古墳周囲は緑地としてきれいに整備されていてトイレも充実。
入口前から坂下を振り返ったところ。
階段を上っていくと墳丘があった。
説明板も。
狐塚古墳
狐塚古墳は、多摩川に面した国分寺崖線の台地先端部に造られた古墳時代中期後半(5世紀後半)の古墳です。
この地域は多摩川に向かって突き出した台地と小さな谷が交互に連続する地形が特徴で、この台地上には南武蔵の首長墓(古墳)が、5世紀から6世紀にかけて古墳時代中ごろに連続して造営され、これらは野毛古墳群と呼ばれています。
この古墳の形は帆立貝形ないし造出付円墳の可能性もありますが、造出部は確認できないため、今のところ円墳(直径約30m、高さ約4.6m)と推定されます。
狐塚古墳の名前の由来は、かつて小さな稲荷の祠があったことから名付けられています。
この古墳では墳丘から埴輪の破片が多数出土していて、頂上部には粘土でくるまれた木棺が埋葬されていると考えられます。また、縄文土器や石器、古墳時代の土器も出土していることから古墳が造られる前の時代からこの地域に人々がくらしていたことがうかがえます。
墳丘の一部や周囲は削られたが、よく残った。
一部を発掘する調査も行われた。
主体部までは発掘していないようだが、その位置が石で示されているようだった。
南側から。
南側、墳丘の先は急斜面になっていた。
木々のすきまから南側に望む武蔵小杉のビル群。
墳丘から東側。
北側もそこそこの眺めがあった。
区のサイトには晴れた日には富士山が見えるとあった。
古墳へ登る階段は反対側の道路側にも付いていた。
階段の下から。見学時間を過ぎると門が閉まる。
4月~10月が8:30~17:30、11月~3月は8:30~16:30。
はじめに見通した道の坂上からになる。右の擁壁の上が狐塚古墳。
狐塚古墳からさらに西へ300mほどで御岳山古墳、そこからさらに500mほどで野毛大塚古墳と続くがこの日はここまでとし、尾山台駅から帰途についた。
国史跡・亀甲山古墳 宝莱山古墳 野毛大塚古墳 東京都大田区 - 墳丘からの眺め
石畳の尾山台商店街。