権現山古墳から講演会場の東海村産業・情報プラザに一旦戻ったが、エントランスの壁に貼ってあった地図を眺めていて「舟塚古墳群」の存在を知り、開演までに戻ってこれそうだったので訪ねてみることにした。
消滅した1号墳からは、美形の人物埴輪が出ている。
舟塚古墳群
前方後円墳2基、円墳2基以上で構成されていたとされる村内中心部の台地上に位置する古墳群。現在は、舟塚2号墳、狐塚古墳が残る。舟塚1号墳からは、県指定文化財である人物埴輪が出土している。舟塚古墳群2号墳(村指定)
全長約75m、前方部幅約40m、高さ7.39m。後円部径約44m、高さ7.59m。
保存状態が良好であり、6世紀代の築造と考えられる。
会場から片道16分と出たので、少し速足で向かう。
東海中学校敷地の東端に着くと、小道を挟んでそれらしき木立があった。
木々の中に墳丘が見えたが、入れない雰囲気。
その先の曲がり角に抜け道的な場所が。
進んでいくと、テラス状の場所に出た。
道路まで行って振り返った、舟塚2号墳。
※追記 普段はこのあたりに「私有地・立入禁止」の札が掛かっていたようでした。勝手に立ち入ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。コメントいただければ、敷地内写真も削除します。
墳裾ギリギリまで樹木があって墳形がわかりにくいが、全長75mもある前方後円墳。
7mを超える高さの後円部へ。
後円部斜面から先端側の南西方向。木々の向こうは宅地に造成されている。かつて舟塚1号墳があった場所もこちら側のはず。
草木の繁る墳丘上を前方部側へ移動。
くびれ部あたり。
地面に落ちているのは椿だった。
前方部上は枯れ枝で入りにくかった。
椿ロードを戻りました。
最初のマップに円墳の印があった所へ向かうと、そこは診療所の敷地。
門の外から墳丘らしき膨らみを。
となりの、すき屋の駐車場からも撮ってみましたが、後でグーグルアースをよく見ると、右の家の向こう側に墳丘が残っているのがわかりました。
帰路は”原研通り”を戻りましたが、途中に「百塚原団地入口」のサインがありました。元は古墳群があったと想像されます。