日本の中央官庁が立ち並ぶ霞ヶ関の北の端、桜田門の向かい、警視庁に相対する場所に、美しい赤レンガ建物があります。
・法務省旧本館(中央合同庁舎第6号館 赤レンガ棟)
1895年(明治28年)竣工。設計はドイツから招かれたヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマン、実施設計と工事監理は河合浩蔵(Wikipedia)
4月22日のNHK歴史秘話ヒストリア「がんばれ!東京~泣いて笑って400年~」で取り上げられていたので現物を見に行きました。(5月13日14:05から再放送あり。とても面白い内容でした。「東京」の歴史に興味がある方にはお奨めです)
これまで横を通り過ぎていただけだった建物ですが、この機会に見に行くことにしました。
東京メトロ有楽町線の桜田門駅、A5出口から地上に出ると目の前にありました。
赤レンガで柱に白い石で帯を入れている感じは辰野金吾の東京駅(1914年、つまり法務省旧本館の19年後に竣工、ただし辰野への設計の依頼は1903年・Wikipedia)にも似ているような印象ですが、影響関係はわかりませんでした。
桜田通りを隔てた向かいは、警視庁が聳えています。
「法務史料展示室メッセージギャラリー」の矢印に従って正門に向かうと警備の方に「見学ですか」と聞かれました。その旨を告げると、注意事項のお話があるので、それを聴いて中に進みます。屋根が帽子風の守衛室。
5つのアーチが並ぶ壮麗なファサードです。
ファサード前から。
尖塔飾りのアップ。
ポールには鯉のぼりが懸かっていました。
以下は法務省のサイト法務省:赤れんが棟より転載。
明治政府は、諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての体制を整えるため、明治19年(1886年)に西洋式の建築による官庁集中計画に着手しました。そして、その計画案の策定のためにドイツの高名な建築家で、共同の建築事務所を開いていたエンデとベックマンを招へいしました。
まず、ベックマンが来日し、大規模な官庁集中計画案を作成しましたが、その帰国後、完成案を持ってエンデが来日しました。エンデは、当時の政治状況や反対者の意見を考慮して、ベックマン案を縮小し、日比谷に諸官庁を建てる案を作成しました。
実際に建てられたのは、司法省と大審院(後の最高裁判所)の建物でした。司法省の庁舎(赤れんが棟)は、明治21年に着工され、同28年に竣工しました。赤れんが棟は、関東大震災ではほとんど被害を受けませんでしたが、昭和20年の戦災によりれんが壁とれんが床を残して消失しました。戦後、同25年までに改修され、その後、法務省の本館として使用されてきました。そして、平成3年に復原改修工事が始められ、平成6年に創建当時の姿に復原されました。
なお、赤れんが棟の外観は、平成6年12月に国の重要文化財に指定されています。
展示室は左の入口から入ります。内部は撮影禁止。中にも係りの方がいて、誘導に従って石造りの階段を上がります。
奥が展示室となっていました。展示室内は展示物によったものでなければ撮影OKでした。
この部屋は旧司法省大臣官舎大食堂で、当時の姿が復原されています。
パンフによれば「床は楢と黒檀の寄木張り、壁は漆喰塗りで、腰壁には欅」を使っているそうです。
明治初期に近代国家を目指し整備した法関係資料が展示されていました。
レンガ壁の構造がわかるように、あえて露出させている部屋もありました。
埼玉県深谷市にある日本煉瓦製造のホフマン式輪焼窯で焼かれたオリジナルの煉瓦による創建当時の壁だそうです。
下記は大成建設のサイトから。改修時の苦労がわかります。
下記は2階の窓から内側方向。こちらからは逆E字型のプランになります。写真左側は法務省検察庁、公安調査庁などが入るビルで間に道路がないので、一般人が内側を見られるのはここからのみになるのではないでしょうか。
外のテラスに出られるようになっていました。
正面、木立の先は皇居前広場。左の建物は桜田門です。
丸の内のビル群も良く見えます。右手は法曹会館。
気持ちの良いテラスでした。
公開日時:月~金(土・日・祝は休み) 10時~18時
入館無料。