墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

萬福寺古墳 愛知県豊橋市嵩山町奈木

豊橋市の浪ノ上町(なみのうえまち)からは嵩山町の萬福寺古墳へ。

嵩山町の読み方を今更ながら調べると「すせちょう」、想像を超えた読みでした。

嵩山町の谷の東の突き当りには嵩山蛇穴(すせじゃあな)という縄文草創期の土器が出た石灰石洞窟があったのですね。

 

お寺の駐車場のそばに説明板。

市指定史跡
萬福寺古墳 1基
昭和50年1月21日指定
境内の北側にあたる山の斜面に築かれた、直径12mの円墳です。墳丘には2重の石列が巡っています。主体部は横穴式石室で、奥行きは8.3m以上あり、側壁の平面形が緩やかに弧状を描く無袖式のものです。昭和37年(1962)に発掘調査が行われ、須恵器、大刀、鉄製柄頭、鉄鏃、弓飾り金具、耳環、玉類などが石室内から出土しています。とくに鳥鈕蓋付脚付壺は鳥形の装飾が特徴的で、東三河地域を代表する須恵器のひとつです。以上から、本墳の被葬者はムラの有力者の墓ではないか、と推定されています。なお調査の出土品は現在豊橋市美術博物館に保管されています。

 

右下の部分

 

なお左側の解説は、書き起こしは省略しましたが平安末~鎌倉初頭の木造阿弥陀如来坐像。

 

説明板の左の小径に誘われて進みます。

 

途中まで上がって振り返って。右は怪しい土盛り。

 

その先の斜面は墓地でした。

そのあたりは、さきほどの説明板の「境内の北側にあたる山の斜面」なのですが、ちょっと見当がつかず。

 

草に覆われたこちら?

 

わからなかったので、いったんお寺の境内に入って参拝しますが、後ろへ抜ける道はなさそうで。

 

あきらめかけたところでお寺の方にお会いできたので訪ねると、墳丘まで連れて行っていただけました。

朝の慌ただしい時間にわざわざご案内いただき、誠にありがとうございました。

 

やはり裏のほうへ登ります。右はさきほど中を通った竹林。

 

さきほど一瞬これかと思った、草に覆われたところが古墳でした。左の裾を回り込んでいきます。

 

すると右の奥に

 

横穴式石室が開口していました。

 

細かい網目ですが、上部にスペースがあり

 

手を差し込んで撮影。

 

三段の奥壁も拝見できました。

 

振り返ると本堂の屋根。

2025年10月中旬訪問