墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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赤井手古墳・赤井手遺跡 福岡県春日市弥生

竹ヶ本古墳を眺めた後は、北に100mの赤井手古墳へ。

こちらは墳裾まで上がることができました。

 

現地説明板。

赤井手遺跡・赤井手古墳
1993年 春日市指定史跡

赤井手土地区画整理事業にともない、1975年から5次にわたる発掘調査によって検出された主な遺構は次のとおりです。
・弥生時代から歴史時代の住居跡 
 竪穴住居跡92軒、掘立柱建物跡17軒 
・弥生時代の墳墓 
 甕棺墓29基、木棺墓1基、土壙墓2基 
・古墳1基(赤井手古墳) 
赤井手遺跡からは、このほか旧石器時代の石器も出土し、1万年以上も昔から生活の場となっていたことがわかります。しかし、ここに定住的集落が営まれたのは弥生時代中期中頃(今から約2100年前)と思われます。 弥生時代は春日地域は奴国の中心地と考えられており、これを裏付けるように当遺跡からは青銅器の鋳型9点(銅予3、鋼戈2、不明4)ガラス勾玉鋳型、鉄器未製品などが出土し、青銅器・ガラス製品・鉄器の生産地として注目を集めました。 
赤井手古墳は、6世紀初頭に築造された径約30m、高さ3~5mの規模をもつ円墳です。石室は全長約4mの単室の横穴式石室で、銅鏡3面、銅釧3個、勾玉1個、管玉9個、丸玉・小玉32個、鉄鉾、鉄刀、鉄刀子、鉄鏃等が出土しました。 
1995年3月 春日市教育委員会

 

床石が整然としていますね。

 

春日市のサイトにも解説があります。

赤井手古墳|春日市

 

ロープの場所から見上げた墳頂。

 

時計回りに巡ります。

 

円墳ですが、前方部がついているような雰囲気。

 

その”高まり”の側から。

 

そこから振り返った北方向。

 

左方向へパンします。


西方向。

 

今度は、前方部的な高まりを越えて墳丘を右回り。

 

墳頂に露出した天井石?

 

根っこがしっかりした木です。

 

石材が引っ掛かった木もありました。

 

南側には屋根の向こうに竹ヶ本古墳が見えました!

 

すぐ先(200m北東)からが、須玖岡本遺跡です。

2024年2月下旬訪問