墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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朝光寺原古墳(の辺り) 神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町

市が尾駅近くには、南側に徒歩8分の朝光寺原遺跡(古墳跡)もあります。

 

住宅街の一画、南東向きの台地端斜面に残された貴重な緑。

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古墳のような膨らみですがちがいます。

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そのすぐ先の南東には東名高速の隔壁が。

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そこから振り返って。あずまややベンチが近隣のご家族に活用されています。

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検索で出た古墳マップさんをスマホで見ながら公園内をうろうろ。

朝光寺原1号墳 - 古墳マップ

1号墳としてピンが立つのはこのあたりですが…

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あとでグーグルマップのクチコミを読むと、公園の西150mほどにある朝光寺との間にあったものが、宅地開発で削平されてしまったようです。

公園内に説明板が立っているようですが見逃してしまいました…

 

横浜市歴史博物館のサイトに、朝光寺原古墳群の解説と、出土した見事な武具の写真がありました。

朝光寺原古墳群出土遺物一括 | 横浜市歴史博物館

弥生時代中期の環濠集落を中心とした朝光寺原遺跡の中で発見された3基の円墳から成るそうで、昭和42年の発掘調査で発見された遺物~眉庇付甲・三角板鋲留短甲・鉄剣・鉄鉾・鉄刀・鉄鏃などの武具類や馬具、臼玉・勾玉などの玉類により、1号墳は5世紀後半、2号墳は6世紀前後、3号墳は6世紀前半の築造と考えられるとのこと。

眉庇付甲・三角板鋲留短甲は関東地方でも出土例は少なく、神奈川県下では唯一例だそう。

 

見落としてしまった現地説明板をグーグルマップで見ると、標高25~45m、200m×400mの範囲にある朝光寺原遺跡では縄文から奈良時代以降までに渡って遺構が多数発見され、弥生時代中期での環濠集落遺跡は関東地方で初めて明らかとなったもので竪穴住居跡59軒、方形周溝墓18基の規模で発掘されたとのこと。

弥生時代後期の竪穴住居跡からまとまって出土した櫛目状の工具でつけられた文様をもつ土器は、新たに「朝光寺原式土器」という形式が設定されたそうです。

 

以前に横浜市歴史博物館を訪ねた際に朝光寺原遺跡出土の弥生土器の写真を撮っていました。

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平成26年度横浜の遺跡展「古墳の出現-横浜の集落遺跡と前期古墳ー」、及び関連講演会「ヤマタイ国時代の東日本」 @横浜市歴史博物館 - 墳丘からの眺め

朝光寺原式土器は中部高地系の特徴を持っているのですが、弥生時代終末期に東京湾岸系(久ヶ原式)に置き換わっていった、というっ興味深い講演内容でした。

 

市ケ尾町公園は先ほどの広場の北側がちょっとした山になっています。

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公園内での高低差は30m。頂上は標高60mで南東方向が遠くまで見渡せました。

右奥の緑の帯の手前が鶴見川だと思います。

縄文時代から人々が好んだスポットになりますね。

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すぐ下には東名高速。その下まで降りる階段がありますが今回は見るだけで。

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そこから北東方向。右下の高速は切通しになっていますが、こちら側は標高60m前後の台地が広がっていました。

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