日拝塚古墳で見事な石室を拝んだ後は北東に2㎞の須玖・岡本遺跡へ向かいましたが、その手前500mほどに並んで残る2つの古墳にも寄りました。
最初に竹ヶ本古墳。
丘上の団地エリア、給水塔の脇でした。
道路沿いに説明板。
周辺は弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡。
竹ヶ本遺跡・赤井手遺跡
竹ヶ本遺跡は昭和36年に県営住宅の建設に伴って調査された遺跡です。弥生時代から古墳時代にかけての集落跡で、30軒余りの竪穴住居跡などが発見されました。弥生時代には、丘陵の西側斜面に、大溝を掘った環濠集落であったことが分かっています。このような集落が谷を隔てて、いくつもの丘陵上につくられていたようです。平成2年に行った東側の丘陵の調査では、青銅器の鋳型や水晶製の飾り玉なども見つかっています。赤井手遺跡は主に弥生時代から古代にかけての集落跡や墓地が重なり合った複合遺跡です。特に弥生時代のものとして、鉄斧などの鉄器をつくった炉の跡やガラス勾玉鋳型、青銅器の鋳型など重要な発見が注目されます。ここでも高度な技術を持った工人たちが腕をふるっていたことが想像されます。
現在では、宅地として開かれてしまった赤井手遺跡・竹ヶ本遺跡ですが、それぞれ丘陵の頂上に作られた古墳が今に残されており、昔の姿を思い起こさせてくれます。春日市教育委員会 1997年3月
擁壁に囲まれて残る墳丘。造成でスパッと削られた様子。
階段上の扉は施錠されていました。すぐ先に説明板が見えますが背面側。
北側から。
春日市のサイトによれば、全長20~30mと推定される前方後円墳とのこと。後円部に露出する石材や、近接する赤井手古墳の時期から、6世紀代の築造と推定されるそうです。
北東側から。
東側から。長軸は東西方向でしょうか。
南東側から。
2024年2月下旬訪問