2024年3月17日、富雄丸山古墳で発掘調査現地公開を堪能しました。
近鉄の学園前駅から満員のバスに揺られて20分程、若草台中央で降りて北側のスポーツセンターへ回り込みます。
受付でパンフを受け取り、
テントで、蛇行剣と盾形銅鏡の写真を拝見。
蛇行剣の実物は今日(3月30日)から4月7日まで、橿原考古学研究所附属博物館で特別公開されています。
【3/30~4/7開催】富雄丸山古墳出土蛇行剣の特別公開 - 奈良市ホームページ
グラウンドを抜けたところから行列が。
右手の木立の後ろが墳丘です。
公開会場での誘導もあって、会場までは10分ほどでした。
青く囲まれているところが今回公開されている現場で、円墳の造り出し部になります。
後ろに人が立っているところが墳頂。
富雄丸山古墳は直径109mの日本最大の円墳で、築造時期は4世紀後半頃の古墳時代前期後半です。
2022年度の第6次調査で造出しにも埋葬施設があることがわかり、昨年はその木棺を覆う粘土槨の中から現れた盾形銅鏡と蛇行剣は大きなニュースになりました。
今回の公開はその木棺。いざ、覆い屋の中へ。
丸太を刳り抜いた「割竹形」木棺の、蓋を取り除いた「身」の部分。
木棺は長さ5.6m、幅は64~70㎝、厚みは約5㎝。
1700年ほど前の木材(コウヤマキ)が、生々しい!
棺内の空間を仕切る板が、遺体を納めた中央の主室(2.4m)の足元と頭上に2枚あり、足元側の副室(1.3m)には青銅鏡が3面出ています。
鏡も実物。
主室の赤は水銀朱、頭の位置が想定されています。
主室の足元側からは竪櫛が9点出土。
”頭の側”から。こちら側のほうが棺の幅が広く、20㎝ぐらい高くなるように傾斜して置かれているそうです。
木材が腐らなかったのは、上に置かれた盾形銅鏡の、銅イオンの効果があったから説があります。
仕切り板、年輪が出るような輪切りではない板で、木目が横になるように置かれていますね。
ここでしか見られない、本物に接することができて感激しました。
会場の出口から見上げた墳頂。
日本一の直径の円墳の墳頂です。
足元は、竪穴式石室があった場所。
発掘時の写真が掲示されていました。明治期に盗掘を受けたとWikipediaにありました。
墳頂から造り出しの側(北東方向)
350mほど先に富雄川が流れます。9㎞ほど下流、法隆寺の南で大和川に合流。
人の流れが次々と覆い屋へ。
園路の途中の石は葺石でしょうか。
富雄丸山古墳の東隣、園路の向こうに後期の円墳もありますが立入禁止でした。
富雄川から振り返って。中央の電柱の右後ろが富雄丸山古墳。