墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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香春町歴史資料館 福岡県田川郡香春町高野

前回の箕田丸山古墳を見た後は、みやこ町に別れを告げ、標高3~400mの山並みをくぐって西の香春町(かわらまち)へ。難読地名ですね。

 

最初に歴史資料館へ向かいました。

 

吹き抜けの明るいエントランス。

 

その2階に展示室。入館無料。

 

中央のジオラマは香春岳。奈良の大仏の銅を産出していて、日田彦山線の香春駅の手前には採銅所駅があることを初めて知りました。資料館では香春を象徴するの鉱物や、近代化遺産である炭鉱・セメント関係などの展示もあります。

歴史│香春町観光協会ホームページ

 

長畑古墳から出土した、純金製のキュートな耳飾りも。

 

建物の外には、弥生期の箱式石棺墓が移築されていました。

箱式石棺墓(古坊遺跡出土)
これは弥生時代後期~終末期の箱式石棺墓を復元したものです。ここから東へ約2㎞、大坂山から派生した標高62m前後の丘陵南端に立地する古坊遺跡箱式石棺墓の一つです。2.4mの長方形(やや菱形)の墓壙を持ち、実際の深さは1m程度あります。内部はベンガラで塗られており、今でも一部痕跡が残っています。石材は花崗岩や緑色片岩などが使用されています。
この箱式石棺墓には何も残ってませんでしたが、人骨または副葬品では青銅鏡や鉄鏃、ヤリガンナなどが残っていることがあります。

 

こちらの2基も移築復元。

 

発見者の方が石材で組み上げた祠が凄いです。

箱式石棺墓(宮原遺跡出土)
所在地:採銅所(宮原)
この写真は、発見者の谷川氏により丁寧に石を積、そこから出土した青銅鏡を安置していた祠です。
この石材をこの場所に移送し、推定復元したものが、ここに展示してある石組みです。

弥生時代後期~週末の箱式石棺墓で標高62m前後の宮原台地の先端部から明治36,37年の開墾中に発見されました。
記録によると大小の4基の石棺が東西に並び、その内2つの大型棺からは青銅鏡が4面、そのほか2口の鉄剣もしくは鉄刀が出土しました。内部はベンガラで塗られており、大型棺内にはよく残っています。石材はほとんど安山岩や花崗岩を使用し、綺麗に四方体に加工し組み立てています。蓋など特に、通常の蓋石より大型で薄く立派で、王墓として十分な風格を備え、墓全体の形状や副葬品からこの地方を治めていた者の墓であっただろうと想像できます。