墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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毛呂山町歴史民俗資料館 埼玉県入間郡毛呂山町大類

前回のつづき。

西戸2号墳が移築されている毛呂山町歴史民俗資料館。

 

とても立派な建物でした。

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入場は無料。エントランスホールには流鏑馬の銅像があります。

その右の、地元の小学生による”古墳新聞”の内容が素晴らしかったです。

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展示室で目を惹く流鏑馬関連展示。

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毛呂山町が流鏑馬で有名だとは知りませんでした。

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全国の流鏑馬分布図。なかなか偏っています。

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馬具は古墳時代とあまり変わらないような。

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資料館の周辺の「苦林野(にがばやしの)」には鎌倉街道がありました。

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そしてそこには3つの古墳群が!

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3つの古墳群
大類(おおるい)古墳群は前方後円墳を含み、埴輪をもつ古墳もみられます。隣接する坂戸市の塚原古墳群を併せて、苦林(にがばやし)古墳群と呼ばれることもあります。川角(かわかど)古墳群、西戸(さいど)古墳群は円墳からなり大類古墳群と比べ小型の古墳が多く分布しています。6世紀後半から7世紀代を中心に大類から西戸へ向かって古墳群が形成されたようです。

 

西戸古墳群の解説。埋葬施設の形態は多様とのこと。

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西戸古墳群
西戸古墳群ではこれまでにいろいろな形態の古墳や埋葬施設が確認されています。これは古墳時代の農業生産力の発展によって、農民の中から有力者が現われ、農民間にも階層差が生じたことを物語っています。2号墳は他の場所から持ち込まれた石材で石室を築いており、多くの労働力を集めることができた有力者の墓であったと思われます。
埋葬施設のいろいろ
西戸古墳群の埋葬施設をみると大きな切石で石室を築いたもの(1)、越辺川の河原石で石室を作り古墳のまわりに溝を巡らすもの(2)、河原石を用いて石室をまねたもの(3)、箱形に石を組んだものなどさまざまです。

 

西戸古墳群箱式石棺墓
西戸古墳群の箱式石棺墓は板状の石を箱形に組み合わせ、蓋をのせ、その上を河原石が覆っていました。時期を決定づける出土品はありませんが古墳時代のものと推定されます。石棺の中から1体の人骨が出土しました。この人骨は、18歳以上の成人女性の可能性があることが判りました。

 

箱式石棺墓のレプリカも。

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「群集する古墳」の解説。毛呂山町北部の3つの古墳群には、100基ほどの古墳が分布しているそうです。

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古墳時代のムラの跡も(矢島遺跡)

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西戸2号墳の出土品など。

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資料館のすぐそばの川角古墳群分布図。こんなに沢山の墳丘が残っているとは。

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縄文土器のコーナーもありました。

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