前回のつづき。
毛呂山町歴史民俗資料館のすぐ西側にピンが立る、川角(かわかど)古墳群を目指します。
資料館にあった古墳分布図には38基。しかも大部分は現存。
資料館の北門から出た先に、古墳の森がありました。
左へ川角駅(東武生越線)とありますが、徒歩30分の距離。
標識の後ろの森の中。墳丘が見えているのかどうかはよくわからなかったです。
標識を右(北)へ進むと気になるブルーシートが。鎌倉街道の遺構を調査していたようです。
そこから南側を振り返って。
近くにあった「鎌倉街道遺跡」の標柱。
ここの前を南北に通るのが鎌倉街道上道の旧道である。うしろの塚は昔大薬寺があった所。この標識に向かって左手にすすめば、苦林と川角との大字境に沿い、越辺川をわたり、鳩山町に入り、笛吹峠に出る。この辺の台地を削り込んだ跡が旧道の西側に残っているが、東側は崩されてしまって残っていない。この街道が作られた当時は越辺川の水は今より北の今宿のすぐ下を流れていたらしく、向こう岸は急な崖になっている。ゴミ焼却場は中州。
上記の「うしろの塚」。おそらく33号墳または35号墳ではないでしょうか。
鎌倉街道と直交する道の西方向に「延慶の板碑・川角古墳群」のサインがあったのでそちらへ向かいます。
右手の学校の校庭に古墳!?と思いきや、土管が埋まっていました。
左手の森の中に円墳がいくつか見られます。先のマップの20番台と思われます。
斜面に葺石(?)を持つものも。
栗も沢山。
道路が近づいてきたところに、2mほどの高さを残す墳丘も。
墳頂にあがらせていただいて、道路方向を。
道路を背にした東側。すぐ右にも墳丘が。
道路に向かって標柱がありました。
道路の反対側から。この道路は片側1車線で駐車はできません。
道路の西側に道を少し入った先に、延慶板碑が立っていました。
高さ3m近いのでは。存在感に圧倒されました。
その説明板。延慶三年は1310年と誰かが書き込んでいました。
700年も立ち続けているのでしょうか。
板碑の後ろにも墳丘。おそらくこれが1号墳。
墳丘の南側に素敵な道がありました。
資料館まで戻って東へ進むと、一面のソバ畑が。