墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

安満宮山古墳 大阪府高槻市安満御所の町

今回からは、2023年9月中旬に訪ねた大阪府北東エリアの古墳旅になります。

最初に目指したのは高槻市の安満宮山(あまみややま)古墳。

 

平成になって発見されて5枚の鏡などが出土し、築造は3世紀後半の「古墳の出現期」とされる大変貴重な古墳です。

 

高槻市公園墓地内の古墳で、墳丘の近くまで車で上がれました。

赤い柱が目立ちます。

 

素晴らしい眺め。

説明板や墓壙見学施設も整備されています。

 

説明板には、とても精巧な鏡のレプリカが埋め込まれています。

 

詳細な解説。

安満宮山古墳
この山は、平安時代から春日神社(現磐手杜神社)の神域として守られてきた聖なる山です。
平成9年夏、この地を調査したところ、長大な木棺を納めた古墳が発見されました。棺内には5面の青銅鏡(1~5号鏡)をはじめ、ガラス玉をつづった装飾品は刀・斧などの鉄製品が副葬され、並々ならぬ人物が埋葬されていたことが明らかになりました。
特に注目されるのは、中国・魏の年号「青龍三年(235)」をもつ方格規矩四神鏡(2号鏡)と古いタイプの三角縁神獣鏡(1号鏡)などが、日本ではじめて一緒に出土したことです。
「魏志倭人伝」には、景初三年(239)6月に倭国の外交使節団が邪馬台国を出発、12月に魏の都・洛陽に到着。皇帝から「親魏倭王」の印綬とともに「銅鏡百枚」などを賜ったと記されています。安満宮山古墳の1号鏡、2号鏡、5号鏡の3面はその一部と考えられ、「銅鏡百枚」の実態に迫る画期的な発見です。
邪馬台国の重要な外交ルートである淀川を一望する安満宮山古墳。ここに眠る人物は、眼下にみえる三島地方最大の環濠集落・安満遺跡を拠点とするこの地の王で、使節団の有力な一員として活躍し、これらの貴重な鏡を女王・卑弥呼から直接、授けられたのでしょう。
立地:安満山(桧尾山)斜面 標高125m
規模:長方形墳 東西18m×南北21m
年代:260年代
墓壙:東西7.5m×南北3.5m 現存深0.4m 方位N-44-E (木棺埋納坑)5.3m×1.3m 深さ1.2m
木棺:コウヤマキの割竹形木棺 直径0.8m×んがさ5m
副葬品:青銅鏡~頭部に2面(4・5号鏡)、やや離れて3面(1~3号鏡) 玉類~ガラス小玉1000点以上(ブルー、直径3~4mm) 鉄製品~直刀(全長68㎝)1点、ヤリガンナ、刀子 各2点 板状鉄斧・有袋鉄斧・ノミ・鎌 各1点

 

ケースに覆われた墓壙。棺に巨大な丸太を用いていたことが実感できます。

 

5枚のレプリカがこちらにも。置かれていた位置で。


反対側から。

 

そして眼下に広がる大阪平野。


緑が広がっているところが令和3年に全面開園した安満遺跡公園。

京大農場跡地で、弥生時代の環濠集落跡を含む約72haに及ぶ集落遺跡、中心部の約13haが国史跡とのこと。

施設紹介 – 安満遺跡公園

安満遺跡 - 高槻市ホームページ

ここ安満宮山古墳の被葬者との関係も気になりますよね。

南西方向に高槻市中心街。中央奥にぼおっと林立しているところが大阪中心部。晴れていれば、あべのハルカスもくっきり見えるでしょう。

 

イラストによるわかりやすい説明板も。

 

眺望の説明も。あべのハルカスは無いですが、梅田スカイビルが記されています。

 

こちら南方向。奥には生駒山地。


中央奥が生駒山ですね。

 

思わずパノラマでも。

 

墳丘とともに。

ここは通いたくなりますね。