墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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江ノ脇古墳・寺町古墳 徳島県美馬郡つるぎ町貞光江ノ脇

段の塚穴の駐車場にあった「美馬町史跡マップ」には、ほかにも幾つも古墳が記されています。こんなにあったとは。

 

グーグルマップで「古墳」と入力してピンが近くに立った江ノ脇古墳へ向かうことにしました(説明板には無かったですが)

 

信号待ちで、吉野川にかかる橋から下流側を。まっすぐ続く中央構造線!

 

国道の上側の生活道へ回っていくと、道路脇に説明板(右端)

 

背後が墳丘。後ろが吉野川。

江ノ脇古墳
つるぎ町指定文化財(史跡)
昭和51年11月1日指定
この古墳は、標高88mの丘陵先端上に位置し、東に開口した横穴式石室で、直径22m、高さ約4mの円墳であったが現在は、開墾等により長楕円形となり、墳頂部は第二次世界大戦時に対空監視台として使われた為に平坦になっている。
石室は全長5.77m、玄室長2.17m、幅1.74m、高さ2.24mで長さ3.05mの羨道部からなる。
出土遺物から1400年~1500年前に古墳が作られたと推定される。又、3回以上の埋葬が考えられる。
田園空間博物館 木綿麻
つるぎ町教育委員会

 

後ろの吉野川に面した北側へ回り込むと、草深い開口部。

 

クモの巣を払い、動物等がいないか確認。

 

内部はきれいでした。羨道床には敷石?

 

縦に筋が入る両袖の石。木の柱のような感じです。

 

横縞の模様のある平滑な奥壁。

 

上段にもう一石。

 

奥壁を背にして。羨道の石は転げ落ちた石が框石にせき止められた様子ですね。

 

フラッシュで。元は垂直だったのでしょう。

 

開口部の外の草。

 

後で検索すると、徳島県のサイトに解説が。

江ノ脇古墳|レキシルとくしま

こちらでは直径10mとあります。須恵器・馬具・玉類の出土が知られており、7世紀初頭の築造とみられるとのこと。

なんと「現在は立入り禁止となっている」とのことでしたが、入室してしまいました、申し訳ございません。(草の中に立入禁止の看板はがあったのでしょうか…)

 

江ノ脇古墳の開口部を横(東側)から。

 

上記の左は移設された「寺町古墳」の説明板。

寺町古墳(箱式石棺)
この箱式石棺は、昭和45年(1970)に西浦の町道から発見されたもので、縦1.4m、横幅32㎝、高さ20㎝で6枚の結晶片岩を組み合わせた石棺である。
この箱式石棺は復元して、中央公民館などに置かれていた後、現在地の江ノ脇古墳横に移した。
発見された当時は、奈良時代中期(8世紀前半)とのことであったが、須恵器坏及び鉄鏃などが出土していることと、箱式石棺の形体からみて古墳時代後半(6世紀後半~7世紀前半)と思われる。

 

草の中に、結晶片岩の上部が見え隠れ。


囲いの中に移設石棺。

 

道路から見下ろして。右奥にチラリと吉野川付近が。

 

こちらの、すえどんさんのブログには公園として整備されたばかりの時の写真がありますが、違いが大きいです。

江の脇古墳と寺町古墳(箱式石棺)♪ : すえドンのフォト日記

 

自分は、この日は日帰り墳行だったので、周辺の古墳はまたの機会としました。

旧美馬町の古墳の様子はobitoさんのサイトに。

大和國古墳墓取調室

こちらの「阿波学会紀要 第55号」でも詳細な解説が読めます。

https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/55/135-140.pdf