今回からは2023年10月下旬の伊賀墳行になります。
三重県の古墳を訪ねるのは今回が初めてですが、これで全県の古墳を(ほんの一部のみのところも多々ありますが)巡ったことになりました。
ちょっとウロウロして見つけた入口。
このあたりでした。古墳がある舌状台地の北端にあたります。
そこにあった説明板。墳丘が190m近くもある大型の前方後円墳です。
国史跡 御墓山古墳 (みはかやまこふん)
御墓山古墳は、5世紀前半に築造された前方後円墳で、三重県内で最大規模を誇る墳墓で、大正10年(1921)に国史跡に指定 されています。
墳丘は2段に造られていますが、前方部裾から下方に墓石を伴う段築があり、見かけは3段に造られたようになっていて、実際より大きく見せる効果があったと考えられます。
さらに、後円部から北西方向に張り出すような形で造り出しが設けられていることから、御墓山古墳は佐那具の町並みに正面を向けて造られていたことがわかります。
後円部上には盗掘坑が見られ、副葬品の出土は知られていませんが、円筒形や家の形を模したものなど、本墳出土とされる埴輪の破片が多く残されています。(伊賀市教育委員会保管)
孝元天皇の皇子で四道将軍の一人である大彦命の陵墓であると伝えられています。
御墓山古墳
○所在地 伊賀市佐那具町字天王下
○規模 全体の長さ約180m 後円部径約100m・高さ約14m、前方部幅約80m・高さ約10m
平成18年3月 佐那具町自治会 府中地区住民自治協議会
案内図はほとんど読めずですが、入口側(北側)が前方部であることは分かりました。
入るとすぐに、石に刻まれた解説と標柱が。
御墓山古墳
丘陵に営まれた前方後円墳で北方に向かって前方部があり主軸の長さは約188m、幅は前方部において約67m、後円部で約100mで高さは前方部で約9m、後円部で約14mの壮大な古墳である。
この古墳は後円部に濠の跡をとどめ封土の全面に葺石が存在している。また後円部東南の濠の外側に接して陪塚とみなされる2基の円墳がある。
御墓山古墳は規模その他の点からこの地方の古代史を研究する上において貴重な学術的価値を有するものである。
大正10年3月史跡に指定された。
伊賀上野観光協会や文化遺産オンラインでは墳長190mとの記載。
裾についた小径を進みます。
途中で右手に見えた墳丘。
見上げる鞍部。草の中を上がります。
鞍部に上がって前方部を。広大です。
逆側の後円部。
後円部に上がって振り返って。比高差4m。
後円部墳頂も広いです。
そこにあった陥没穴。
後円部墳長から先端方向。裾を濠が巡っているのが判ります。
墳頂の周囲は木々が繁っていて眺めは得られません。
再び前方部方向。
前方部の端まで行って振り返った後円部方向。非常に大きいです。
鞍部を、登って来た逆側へ降りて見ました。
そこから見る後円部裾。
後円部裾の周濠は竹林でした。
鞍部を上り返します。