屋外展示の車両を見た後は柵原鉱山資料館へ。周囲から目立つ大きな建物です。
入館料は一般520円。月曜休館。
柵原鉱山は、東洋一の硫化鉄鉱を産する鉱山で、最盛期の昭和40年頃は年間90万トン以上を産出していたそう。しかし海外から安い硫化鉄が輸入されるようになると需要が減少し平成3年に閉山。
館内には「昭和時代」がありました。
片上鉄道のコーナー。
一画には、月の輪古墳関連のパネル展示も。
月の輪古墳
月の輪古墳は、標高320mの太平山の頂上にある大型の円墳です。各種の埴輪や首飾りのほか、鉄製の刀剣類、鉄くずや銅製のやじりのなどの武具や、銅鏡が発掘されており、この古墳に埋葬されたのは砂鉄を生産していた豪族であると考えられています。この古墳の発掘は、昭和28年(1953)8月15日に始められました。真夏の炎天下の中、草木が伸び放題の山肌を、多い時には300人近い人々が参加して発掘調査が行われました。教師、生徒、青年、婦人など、発掘に参加した人々はのべ1万人にもなりました。
訪ねられなかった古墳がいくつもあるので再訪したいと思います。
高瀬舟関連の展示。
江戸時代までは内陸でも、河川交通の舟が物流の主役でした。
そしてメインの鉱山の展示になります。
昭和天皇も行幸されたとのこと。
柵原鉱山と日本
硫酸は化学工業の原料としてなくてはならないものでした。そのため、その国の化学工業の水準は、硫酸の消費量を見ればわかるといわれています。柵原鉱山の硫化鉄鉱は品質が高く、硫酸の優れた原料として、日本の化学工業の発展に伴い各方面で利用されました。特に、戦後の食糧難の時期には化学肥料の原料として日本の食糧増産に貢献し、昭和22年(1947)12月11日には昭和天皇が行幸され、坑内で働く従業員を激励しました。
硫化鉄鉱は硫安という肥料の原料でもありました。
坑道の様子が再現された展示も。
蟻の巣のような断面図。地下に30層ぐらいあります。
屋外には坑内で使われた(?)電気機関車も。
これで、2023年10月の岡山墳行は終了です。
次回からもお楽しみに!