墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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萩ノ尾古墳 福岡県大牟田市東萩尾町

国史跡・萩ノ尾古墳は、前回の潜塚古墳から2.2㎞南東の諏訪川右岸、熊本県との県境近くにあります。

 

古墳の石室の鍵は500mほど北西の、ヤマアキショップヒラヤマで借りることができます。

 

有明工業高等専門学校への上り道四辻の南東に、古墳への石段あり。

 

上った先に覆い屋が。

 

覆い屋の後ろが墳丘。

 

その墳丘を北側から。そこここにブルーシートがあったので、踏まないように気をつけて。


覆い屋の外の説明板。

萩の尾古墳
国指定文化財(史跡)昭和36年4月5日指定
古墳の形式:内部主体に横穴式石室(複室)をもつ円墳。直径16m、高さ4m
古墳の特徴:赤色顔料による壁画、整美な切石使用の石室
構築の時代:6世紀後半
石室:石室全長7.8m、石材は阿蘇凝灰岩
羨道長1.8m・幅1.5m・高さ1.9m
前室長1.4m・幅1.8m・高さ2.6m
玄室長2.9m・高さ2.6m・高さ3.0m
・石室床面と墳丘底面の高さはほぼ等しく、玄室は墳丘の中央に位置している。
・各室間は、しきい石があり、玄室、前室の門壁は一本の切石角材で柱状を呈している。
・石室の平面は長方形、断面は梯形である。
・玄室の奥壁上部に奥壁と等しい巾の一枚石でできた石棚がある。
・石棚の下の床面には遺体を納めた石屋形の一部分であったと考えられるかなり大きな板石が残っている。
・壁面の石の積み方は、各室とも下半部に腰石として巨大な一枚石を立て、この上に長方形状の石を積み重ね、全体として整った美しさを見せている。
・玄室、前室の天井はそれぞれ巨大な一枚石でふさがれている。
・この古墳が学術上重要であるとされるのは、玄室奥壁に描かれている壁画のためであるが、この説明は別に掲げることとする。
大牟田市教育委員会(昭和47年3月31日)

 

お借りした鍵で、開きました!

 

覆い屋内の説明板。詳細で、嬉しい悲鳴。

国指定史跡 萩ノ尾古墳
指定:昭和36年4月5日
所在:萩尾町2丁目356
福岡・熊本両県のほぼ県境を西流し、有明海にそそぐ諏訪川(関川)をのぞむ北岸の台地端近くに立地し、別名を穴観音古墳・弁天山古墳などと呼ばれている。本墳の台地下の川端には三宮古墳(前方後円、装飾古墳、石人=熊本県)があり、両墳は装飾古墳という点でも関連があり重要である。
本墳の開口はかなり古く、遺物については全く手がかりを得ない。開口年代の一つの参考となるものに、玄室に安置されていた石造観音像の台座に元禄5年在銘の古墳開口の由来を刻した銘文がみえる。
本墳は径16m高さ4m余の完好な円墳であるが、周溝などの施設は未調査のため現在は認められていない。内部工房は複室の横穴式石室で、真西に開口している。石室床面と墳丘下底面とはほぼその高さ一致し、玄室は墳丘の中心下に位置し、専門は現墳丘の裾に開口している。石室の平面形は長方形を呈し、そおの断面形は梯形を呈するという構造上の特色をもつが、さらに玄室の奥壁には一枚石の巨大な石棚が挺出(ハミ出したようにして突出)している。またこの石棚の下にはかなり大きな板石が遺存する。これは或いは屍体をかこった石屋形の一部分でもあろうが、また壁面の石の積み方は、三室とも腰石として一枚石の巨岩をその下半に立てるが、これらはすべて面ととった切石である、その上方に長方形状の切石を横位に積み上げ、石材の整美さと併せ、がっちりとした構築の様相は、奥壁の装飾とともに本墳の特徴をなすものである。玄室および前室の天井は一枚石によって閉塞されている。これらの石材はすべて阿蘇系凝灰岩である。

また装飾の壁画は、現在は玄室奥壁の石棚下の壁面にのみ認められるが、約40年前までは右壁にも認められたという。
装飾文(文様)はすべて赤(鉄丹)一色で描かれるが、現存する彩画の構成は、一応二つの群に分かれるようである。右上の一群は七個の装飾文からなる。即ち中心に赤点をもつ同心円が二個上下にならび、その左右にゴンドラ形の舳先、舳の高い大形舟が各1つ、さらに左の大形船の上には小形が二つ、またその左下には楕円形文が描かれている。
また左下の一群は九個の装飾文によって構成されるが、これをさらに上、中、下の三段に分けて説明すると、横断には小形の楯状、中段には左から大形の楯、丈形円形文、色で塗りつぶされた小形円形文と三つ並ぶが、中央の円形文の左右には弓ともみられる描線が各一ある。下段には、左から塗りつぶされた三角形文と線描のみの三角形文がさしちがえに並び、次に圭頭状と平頭状の、いずれも塗りつぶされた彩画がある。なお、この下方にのみL字状の線が左端に描かれているが、全域には及んでいない。
本墳の構築年代については、その年代を示す遺物を欠くので困難性があるが、石室構造上の特色や使用された絵具が赤(鉄丹)色に限られている点などを考え併せると、6世紀後半代もかなり下降した時点を考えることが適当であろうと考えられる。

 

石室の実測図。

 

次の扉の先へ。

 

窓の向こう、ズームすると、奥壁の絵がくっきり見えました。

 

ゴンドラ状の舟や、同心円文、盾の形がわかりました!


鍵を返却した際に、古墳まんじゅうがあることを知りましたが、焼き上がるまでにあと30分ほどかかるとのことなので、泣く泣くあきらめました…