墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

国造神社・手野の杉 熊本県阿蘇市一の宮町手野

下御倉古墳・上御倉古墳を回った後、すぐ横の国造神社を参拝した。

駐車場近くにあった神社と古墳の説明板。

ASO田園空間博物館
国造神社
熊本で古い神社の一つで、阿蘇神社の北に位置するため「北宮」とも呼ばれる。
祭神は阿蘇の開拓神健磐龍命の第1子である速瓶玉命のほか、雨宮媛命、高橋神、火宮神の4神である。
速瓶玉命は父の健磐龍命とともに阿蘇の開拓につくしたといわれ、牛馬を育て、田畑に水を引き農業を起こしたと伝えられている。
このような理由から農業の神様、五穀豊穣の神様としての信仰が厚い。
境内にはこのほか、大鯰の例を祀った「鯰宮」、「手野の大杉」、「白蛇の桧」などがある。(後略)

 

駐車場の脇から北へ伸びる参道。古墳をは数十mの距離。

f:id:massneko:20220228225153p:plain

 

杉林の参道です。

f:id:massneko:20220228225221p:plain

 

拝殿前の鳥居。

 

振り返っての紅葉。

f:id:massneko:20220228225320p:plain

 

地面も色鮮やか。

f:id:massneko:20220228225333p:plain

 

拝殿を移したら、土砂降りの雨にピントが合ったみたいです。

f:id:massneko:20220228225255p:plain

 

拝殿の右に、異様な建物が。

f:id:massneko:20220228225347p:plain

 

中央の木は柱ではなく、その木を保護するための覆い屋でした。

f:id:massneko:20220228225405p:plain


説明板と石碑。

f:id:massneko:20220228225434p:plain

 

新しい説明板は石垣に立てかけられていました。

高さ48mもあったそうですが平成3年に台風で折れ、その後に枯れてしまったとのこと。

f:id:massneko:20220228225459p:plain

手野のスギ
元国指定天然記念物
大正13年12月9日指定 平成12年9月6日解除
高さ約48m、幹囲約11m(昭和45年測定)
このスギは、ここ国造神社の主祭神 速瓶玉命のお手植えの神杉として伝えられ、県下でも最大級の巨木であった。昔は「手野の神杉」「手野の二本杉(夫婦杉)」といい、2本あったというが、男杉は文政年間(1818~30)に雷火により伐採され、この女杉だけが残っていた。現在、男杉の株痕横に天保2年(1831)に植えられたという杉がある。これは男杉の古株から生じたヒコバエを植えたものといわれ。「神杉 天保二年 御郡御目附中村荘右衛門 植之」と刻んである植杉碑が建てられている。また、伐採された男杉は香りが高く、その一部を御笏の材料として仁考天皇に献上したところ、おほめの言葉を頂いたとも伝えられている。
平成3年の台風19号により地上約11m付近から主幹が折損した。そのため保存を第一として土壌改良など懸命な養生作業を行ったがやむなく枯死してしまった。残念ながら国の指定は解除となったが、地元にて「手野の大杉 保存事業期成会」を立ち上げ、折れ残った地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけ平成14年に現在の姿となった。元国指定にふさわしく堂々とした貫禄の杉で、神の鎮まる神域を感じさせる。
平成17年11月 阿蘇市教育委員会

 

こちらは200年前に雷で伐採された別の株(男杉)

f:id:massneko:20220228225530p:plain

 

その男杉のヒコバエから育ったという”次世代”の神杉。大切に守られています。

 

このあと、土砂降りの中を熊本空港へ向かいました。

以上で2021年11月下旬の肥後墳行シリーズは完了です。

次回からは2023年3月上旬の、再びの肥後墳行シリーズとなります。