墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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上御倉古墳 熊本県阿蘇市一の宮町手野

2021年11月の肥後墳行、最後に訪ねた古墳が上御倉(かみのおくら)古墳でした。

 

前回の下御倉古墳とは30~40mほどで、建物を隔てて隣り合っています。

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上記の左の道を回り込んでいくと開口部に。説明板前の箱に、室内灯のスイッチがありました。

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その説明板。

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上御倉古墳
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)の神陵と伝えられている。南西に開口する複室の横穴式石室で、石室は巨大な切り石で構築され、熊本県内では代表的巨石墳の一つである。
円墳の直径は約33m、高さ5.3m、内部は複室からなる横穴式石室を備え、奥行きの全長約10m、石室はすべて安山岩の巨大な石材と、阿蘇溶岩の切り石をもって構築し、壁面には丹彩のあとがみられる。

 

下記は駐車場にあった説明板です。

熊本県指定史跡
上御倉。下御倉古墳
上御倉古墳は直径約33m、高さ約5mの円墳。南西に開口する石室は前室と後室をもつ複室の構造で、巨大な安山岩と阿蘇溶岩の切石で構築されている。県下を代表する巨石墳である。
奥室には阿蘇凝灰岩の切石で作った石屋形があるが、前方にずり落ちている。石室の壁には丹が各所に残っている。また、前室入口の前に倒れていた板石には白色で山状のもの、その下に黄色で人物が描かれていた。
下御倉古墳は直径30mの円墳で、内部は上御倉古墳と似ているが、多量の土砂が流入のため、明らかではない。
ともに6世紀中頃の古墳で阿蘇君ゆかりのものと考えられる。

 

電気をつける前の様子。

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スイッチを入れると、かなり奥に明かりが灯ります。

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羨道に入ると前室への羨門があり、その奥に玄室への玄門があります。

 

羨道からズームで。

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前室から。

 

石屋形の屋根が手前側にずり落ちています。

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玄室内から広角で。

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腰高ほどの平滑な奥壁。

左右の板石が石屋形の短辺の側壁で、ずり落ちた屋根がこの上に架かっていたと思われます。

 

奥壁に向かって右側壁。

 

左側壁。


奥壁側に渡って振り返って。

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屋根の下側。

 

奥壁側からの玄門。

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天井の様子。


玄門から出て、前室から開口部を。

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羨道から開口部を。

”黄泉の国”から外に戻って、一息つきました。