応神塚とも呼ばれる大神塚は全長50mほどの帆立貝形の前方後円墳。相模川左岸の寒川神社の近くに立地しています。
安楽寺の墓地の中に残る墳丘。
墳丘には桜の木も。春が待ち遠しいですね(この時は年末でしたが)
前方部の右裾から。
前方部から後円部を。
後円部墳頂に上がって振り返った前方部(南西方向)
墳頂から北西には大山の雄姿。
ちょっとずれると、屋根の向こうに富士山が!
墳頂には明治44年の、発掘調査碑でしょうか。
後円部の先端、北方向。整地中のようでした。
後円部から、前方部を見ながら東裾へ降りました。
麓にあった標柱と説明板。
大神塚
全長約50m、後円部径約30m、同高さ約5mの帆立貝形を呈する大きな前方後円墳である。
明治41年4月、寒川神社宮司の提唱で坪井正五郎博士により発掘調査が行われた。出土した和鏡二面、漢鏡一面、直刀三振や、陪塚から出土した金銀環、勾玉、管玉等は寒川神社に展示されている。
古墳の築造は5世紀と推定される。
寒川町教育委員会
標柱の左に、芸術的な形の石碑。
周辺の小型古墳発掘の記念碑(明治41年)でした。
この記念碑は明治41年(1908)に大(応)神塚周辺の小型古墳の発掘調査を記念して建てられたものです。
この調査は、大(応)神塚の発掘調査と同時に行われたもので、東京帝国大学教授坪井正五郎氏が調査を担当しました。小型古墳は5基の円墳があったと考えられており、そのうち3基が調査されました。1基からは埋葬施設である石室が検出され、内部より数体分の人骨と副葬品として耳環、勾玉、管玉、切子玉等の装身具と直刀、鏃等の鉄製品が出土しました。
この記念碑はその古墳の付近にありましたが、区画整理にともない、平成19年2月にこの場所に移設されました。
平成19年2月 寒川町
平面図のアップ。
後円部を引いた位置から。
整地中(?)の北側から。右奥にちらりと前方部。
墳丘のすぐ北側には旧中原街道が通っていました。
大神塚からの出土物は寒川町のサイトで見られます。
Wikeipediaには大神塚の被葬者についてもコメントされていました。
大神塚(おおじんづか)は神奈川県高座郡寒川町にある、初代相武国造茅武彦命(かやたけひこのみこと)の奥津城と伝わる古墳である。