墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

福庭古墳(目前) 鳥取県倉吉市福庭

三明寺古墳拝観後は北東に3.3㎞、天神川を渡った先、大平山の西裾にある福庭(ふくば)古墳へ。

 

福庭の集落にて洞光寺の山門から東側に、波波伎(ははき)神社への参道があります。

 

社叢は天然記念物。スダジイなど、地域の原植生が残っています。

波波伎(ははき)神社社叢
国指定天然記念物
昭和9年5月1日指定
波波伎神社社叢は、地域の原植生であるスダジイを主とする暖帯照葉樹林の自然性を残していることが特徴として、昭和9年に国の天然記念物に指定されている。
面積約1.7haの社叢のうち、特に社殿の南東側と南西側はきわめて自然性が高く、林の熟成した部分では、高木層の樹高は約25mほどで、主にスダジイとタブノキの巨木が混生している。
亜高木層のヒメユズリハや草本層のツワブキ、オニヤブソテツ等の存在は、この地がかつて海岸に近かった可能性を示す。
周辺に自然林はほとんど残っておらず、市内では、打吹山と並んで貴重な自然林である。倉吉市教育委員会 令和4年3月作成

 

お寺を左に見ながら坂を上ります。

 

倉吉市の保存林にもなっています。

最終行には「近くの福庭古墳をはじめとする波々伎神社古墳群が位置する」とも。

 

最後の石段。

 

波波伎神社拝殿。周囲の森は鬱蒼としていますが、境内は明るかったです。

 

左奥が本殿。

 

拝殿前から東に古墳への道がありますが、立入禁止の「非情」テープが…

復旧できるものであれば何卒よろしくお願いします。せめて開口部前まででも。

 

解説板だけ読ませていただきました。

県指定史跡 福庭(ふくば)古墳
昭和31年(1956)5月30日指定
福庭古墳は古くから横穴式石室が開口している石室として知られており、大正期には京都帝国大学の梅原末治教授により測量調査が実施された。
墳丘形状は直径約35m、高さ約4mの円墳と考えられているが、正確には不明であり、方墳や多角形墳である可能性も指摘されている。
埋葬施設である横穴式石室は全長9.7m、平らに加工された切石によって構成される精美な造りである。
入口通路にあたる羨道は、長さ6.6m、幅2.1~2.7mと石室入口(開口部)に向けて広くなっている。羨道の側壁は、玄門側(玄室側)は大型の一枚石で構成されているが、石室入口に行くにしたがって小型の石材が用いられており、積み方も乱雑となっている。遺体を安置するための玄室は、大型の石材を立て、その上部に板石を玄室内側にせり出すような形で積むことで奥壁・側壁とし、その上に大きな一枚石を天井石として架構して、内寸長さ2.3m、幅2.2m、高さ2.3mの玄室空間を造り出しており、加えて玄室入口床面には高さ約40㎝の仕切石が認められる。
また、羨道と玄室の境界に位置する天井石には、玄門側には段状の加工、羨道側にはあたかも玄門石が前面に開くような仕掛けにみえる装飾的な加工が施されている。
玄室奥壁には、一部赤色塗彩が施されており、三角形状の壁画か描かれた装飾古墳である可能性が指摘されている。
当古墳は石室の特徴から古墳時代終末期の築造と考えられ、同じく国指定史跡である古墳時代後期の三明寺古墳につづく天神川流域の首長墳と評価されるものである。
令和4年3月 鳥取県

 

三明寺古墳につづく首長墳と評価されているそうです。

 

見事な石室の様子は、平家蟹さんや額田大玉さんのブログにてご覧ください。
古墳のお部屋ブログ館 福庭古墳

福庭古墳