伯耆墳行の2日目は、東光園で朝食をしっかりいただいた後、まずは市内の山陰歴史館へ向かいました。
もとは米子市役所で、昭和5年(1930)築の鉄筋コンクリート3階建て、設計は佐藤功一(ら)
軟弱な地盤を考慮した近世欧米式「鍵の手造り」で施工され、当時の市の1年分の予算に匹敵する資金が投入されたそうです。
↑事前に連絡すると、通常非公開の場所も見学できると記されていることに今きづきました。
「山陰歴史館」のロゴも年季が入っている感じ。
エントランスには「鉄道の町米子」の展示。
ミニ大山のジオラマは、米子駅にあったものだそう。
12の鉄道の町のことを初めて知りました。
鉄道の町米子
かつての日本国有鉄道では、公式に12の「鉄道の町」を設定していました。
「鉄道の町」とは、そこに鉄道駅や鉄道に関する施設が置かれたことで発祥あるいは大きく発展した町を指す言葉です。
◎国鉄公式 日本の鉄道の町
岩見沢、追分(現・安平町)、土崎(現・秋田市)、新津
(現・新潟市秋葉区)、大宮(現・さいたま市)、米原(現・米原市、吹田、多度津、米子、津和野、直方、鳥栖名医35年(1902)、山陰初の鉄道が境ー御来屋間に開通します。それ以降、鉄道は人や物資の輸送手段として米子の近代化を支え、ともに発展してきました。
魅力的な階段を上がって2階の展示室へ。
鉄道のパネル写真の部屋。鉄道愛というか国鉄愛が溢れています。
部屋の外にも展示物。
鏡台やミシン、扇風機、ラジオも展示物。
昭和時代に流行ったステレオセット。懐かしい。
こちらの部屋のメイン展示は、学校の机。
その一画に、時代ごとの土器(レプリカ)の展示がありました。かつて学校に飾られていたものでしょう。
出土品は見つけられなかったですが、十分楽しめました。