墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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丸隈山古墳(今宿古墳群) 福岡県福岡市西区周船寺

丸隈山古墳は、前回の若八幡宮古墳の800mほど西の県道沿いに立地。

 

5世紀前半に築かれた、横穴式石室を持つ前方後円墳。墳長は85m、後円部径約60m、同高約8m、福岡市内で最大規模。

国指定史跡 丸隈山古墳
昭和3年2月7日指定
江戸時代の初めに発見されたこの古墳は、5世紀前半に築かれた前方後円墳で、後円部が三段に、前方部が二段(一部は三段)につくられ、各段の斜面に葺石を敷き、テラス部に埴輪をたてならべています。埴輪には円筒のほか朝顔形・盾・水鳥などの形象埴輪があります。
後円部の中央には、初期の横穴式石室があり、石室の中に中央の壁を有する2基並列の組合式箱式石棺があります。その中には男性人骨と鏡二面(仿製二神二獣鏡と仿製六獣鏡)、巴形銅器、玉類(勾玉・管玉・小玉)、刀、剣、鉄鏃などの副葬品が残っていたことから、この地域を代表する首長の墓と思われます。
昭和62年3月 福岡市教育委員会

 

説明板の位置をストリートビューで。左の石段をひとつ上がったところが前方部先端です。

 

このあたりが前方部先端側斜面か。

 

上がった先は広場。

 

かつてはこの広場の上に前方部2段目の墳丘が載っていた模様。

 

”広場”の南端に開口部。

 

もともとの墳丘は開口部の上部まで土盛りがあり、前方部側からはいったん竪坑を降りて入室するという、北部九州型の初期横穴式石室。

 

このタイプを初めて見たので面喰いました。うなじの中に人が入っている”進撃の巨人”的な印象。

 

大きな鉄の扉で保護されていますが、隙間から十分見学可能。

 

見事な石室、石棺でした。

 

スマホ広角で。

 

石棺は二人用。

蓋石の幅が…

 

奥壁側にも蓋石とみられるものが立てかけてあります。

 

扁平な割石を何十層にも積み重ねられた壁が圧巻でした。

 

赤色顔料も残っています。

 

福岡市のサイトによれば、入り口部がなくなって玄室のみになっている石室は長さ4m・幅2.4m・高さ2m。
長持形石棺の影響をうけている石棺や蓋は唐津産の砂岩と推定されるそうで、現在の石室の姿は昭和2年(1927)の復元修理とのこと。
貝原益軒の「筑前国統風土記」に、寛永6年(1629)に村民による発掘が記され、出土品として二面の鏡のほか、巴形銅器、直刀、鉄鏃や、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、ガラス小玉などが伝えられているそうです。

今宿古墳群(丸隈山古墳) | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財


西側から、残った後円部を。


墳丘の西側には龍松寺。

 

今宿古墳群は、このほか東端に鋤崎古墳(すきざきこふん:墳頂62m・4世紀末)、西端に飯氏二塚古墳・兜塚古墳が残りますが、その3基を訪ねるのは次の機会としました。鋤崎古墳は玄室レプリカを福岡市博物館で見学できるようです。

国指定史跡 丸隈山古墳
この古墳は5世紀前半の前方後円墳です。
階段を上がると横穴式石室があり、いつでも見学できます。
石室の前は広場になっており、毎年8月17日にはこの場所で宇田川原豊年獅子舞(福岡市無形民俗文化財)が奉納されます。
ここから東には山の鼻1号古墳、若八幡宮古墳、大塚古墳や鋤崎古墳が続き、古墳めぐりが楽しめます。
これらのほか、飯氏二塚古墳・兜塚古墳を含めた7基の古墳は「今宿古墳群」として国の史跡に指定されています。
平成13年3月 西区役所

 

今宿古墳群の首長系譜の前方後円墳としては、山ノ鼻1号墳(4世紀前半:墳長51m)→若八幡宮古墳(4世紀後半:47m)→鋤崎古墳(4世紀末:62m)→丸隈山古墳(5世紀前半:85m)→今宿大塚古墳(6世紀前半:64m)

2世紀にわたって歴代首長の墓が継続する貴重な遺跡です。