墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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江崎古墳 岡山県総社市上林

江崎(えざき)古墳は作山古墳の東北東800mほど 、備中国分寺の西北西500mほどの丘陵斜面に立地する。車の場合は「吉備路風土記の丘 県立自然公園駐車場」を利用して徒歩6分。

 

北側のルートは、雰囲気のよい細道だった。

 

くねり具合も良し。

 

道沿いには祠も。

 

目的地に近づいた。

 

英語も併記されたサインが。

 

すぐ右が墳丘だった。

 

敷地内の解説板。

県指定史跡 江崎古墳
昭和61年4月4日指定
本古墳は、前方部を山側に向けた全長45mの前方後円墳で、後円部の一部を除き周溝がめぐっています。前方部幅25m、後円部径32m、二段築成で円筒埴輪をもっています。
西に開口する横穴式石室は、両袖式で全長13.8m、玄室長6.6m、玄室最大幅2.6mで、羨道には角礫を用いた閉塞施設がよく残っています。
玄室にはこうもり塚古墳と同じ貝殻石灰岩(浪形石)をくり抜いた家形石棺があり、棺内には攪乱された状態で人骨二体分と金環一対、ガラス小玉約110が残っていました。人骨は成人の男性と女性で、ともに身長157㎝前後と推定されています。
石室床面からは獣形鏡1、耳環一対、鉄刀5、鉄鏃130以上、馬具、須恵器90以上、土師器10余など大形横穴式石室にふさわしい多種多量の遺物が出土しています。
本古墳の築造は、出土遺物などからこうもり塚古墳よりやや新しい6世紀後半と考えられ、この地域最後の、そしてまた吉備最後の前方後円墳のひとつとして、大きな意義をもつものです。
昭和61年4月 総社市教育委員会 

 

写真部分。石室入口を閉塞していた石が残っていた。

 

石室内には多くの遺物も。

 

総社市のサイトには、石棺石材の貝殻石灰岩は井原市産出であること、遺骨は20代後半~30歳にかかる壮年男性と、30代後半から40歳に近い壮年女性の2体であること、棺を留めたと考えられる鉄くぎも出土していることから木の棺も使用されていたと思われること、出土した土器からみても6世紀後半から7世紀のはじめまで何度か埋葬が行なわれたようであることなども記載されていた。

http://www.city.soja.okayama.jp/bunka/kanko/shitei_bunkazai/ken/ken_13.html

 

前方後円墳の後円部に石室入口がある。

 

木製の階段を降りる。

 

大きな石室と石棺が現れた。見学施設として天窓が設けられている。 

石が崩れる危険があるとのことで、先は立入禁止だった。

 

フラッシュで。側壁や奥壁に巨石が用いられている。

 

縦位置で。天井石は発掘・整備前に失われていたのだろう。

 

 自然光で観察できる室内は珍しい。

 

 岡山県のサイトには、玄室内に入って奥壁側から写した石棺も載っている。

 http://www.pref.okayama.jp/cgi-bin/bunka/culture/controller/client/resultDetail.cgi?id=351

 

外へ出て、石室入口の上部を。

 

後円部墳頂の様子。左が自然光の取り入れ口。

 

くびれ部から前方部。この古墳は前方部を山側に向けている。

 

前方部から見た後円部。

 

墳丘から南南東の眺め。左端、笹と電柱の間に備中国分寺の五重塔屋根が、中央やや左の家並みの後ろに宿寺山古墳の木立が写っていた。