今回の墳行では佐賀平野の北辺を移動していったのですが、この時期(2022年10月)に興味深い企画展が開催されていたので、佐賀中心部の県立博物館も訪ねました。
博物館は50年以上前の建物ですが、”古さ”は感じられません。
引いた位置から広角で。
グーグルアースで、その特異な形を。
東西南北に、この突き出た部分があります。搭乗口のゲートというか、宇宙船を思わせる雰囲気。
かなり奥まった入口。3階床までの柱の高さや、ワッフルのようなその天井が印象的です。
柱の頂点が梁の交点でないのは、天井の”重さ”を感じさせないようにしているのでしょうか。
Wikipediaによれば建物の設計は高橋靗一(ていいち)と内田祥哉で、竣工は1970年7月。3階建ての鉄筋コンクリート造で、外観形状、天井、階段の配置など十字型をベースにしており、十字型のプレキャストコンクリートを基本単位としてこれを多数連結していくプレグリッド・システムという構造とのこと。
そして見たかった企画展は「建築の建築」展。
日本の「建築」を築いた唐津の3巨匠、辰野金吾、曽禰達蔵、村野藤吾に関する展覧会です。
この3人とも、唐津出身だったとは!
普段は常設展にも使われている2階を広々と使った展示になっていました。
以前に東京ステーションギャラリーでも見た、東京駅丸の内側の模型。
以前に、目黒区美術館での村野藤吾展でも見た建築模型群。
背後のスクリーンでは、ヤマガミユキヒロによる”キャンバスプロジェクション”を上映。
手前の模型の宇部市渡辺翁記念会館は、コロナ対応で県外者は入れなかったところ。
宇部市渡辺翁記念会館 山口県宇部市朝日町 - 墳丘からの眺め
建築家の言葉も、展示品。
辰野金吾による旧日本生命保険会社九州支店(福岡市赤煉瓦文化館)
今回の旅行で、福岡で泊まったホテルのすぐそばで外観を見ました。
唐津市街(松浦川左岸)から見た唐津城側の写真パネルは三巨匠も見たであろう景色。
唐津城からの眺めは前日楽しんだばかりでした。
博物館内部の階段(3階から1階を)
手すりがワイヤーでした。
佐賀県立博物館では常設で考古展示もあるのですが、このときは建築の建築展を大々的に開催していたためか見当たりませんでした。
1階ホールで全長4.3mの船形石棺を見たのみ。
熊本山古墳出土 船形石棺 国指定重要文化財
昭和38年(1963)に、佐賀市久保泉町川久保の熊本山頂上(標高約56m)から開墾中に発見されたもの。
阿蘇溶結凝灰岩を刳り抜いて作られた石棺は、現在の熊本県八代市付近から持ち込まれたものと推測される。身・蓋ともに全長4.3m、内部は3室に区切られ、朱色のベンガラが全面に塗られている。中央室の一端には枕が削り出されており、これに頭をのせた1体と、頭を反対にして納めた1体が発見された(性別は不明)
また、棺内からは、勾玉・小玉・管玉・四獣鏡・碧玉製紡錘車・短甲・鉄剣・鉄刀・鉇などの副葬品が発見された。
石棺は4世紀末頃のものと推定されており、石棺の型式・石材など、当時の文化や社会を究明する上で注目すべき遺物である。
左の身の奥の方に「枕」が見えます。
1983年に開館した佐賀県立美術館は一体的な施設となっていて、広い廊下で接続しています。その廊下の窓越しに、高輪築堤の再現展示がありました。
鉄道建設に肥前出身の大隈重信が関わっていることからの展示のようでした。