今回からは2022年5月21日に歩き回った、古市古墳群を。
4月末の「まりこふんバスツアー」で中心部を訪ねたので、周辺を含めた全体の大きさを実感したいと思った次第です。
古墳群南側にあたる古市駅で降りて、時計回りに進んでみようと計画しました。
古市駅東広場。まだ9時前で、右の観光案内所は閉まっていました。
左の木立は白鳥神社の境内林。
広場にあった古市古墳群の立体図。現在地は右下の赤丸。
古墳だらけに見えます。
最初に白鳥神社に参拝しました。
階段を上がって左に拝殿。
拝殿が向く方向の階段を下りて振り返って。これは後円部のような…
「古市古墳群をあるく 巨大古墳・全案内:久世仁士著」によると、社殿が建つ場所が後円部で、前方部が古市駅側で削られた前方後円墳とされてきたとのことですが、本格的な調査が行われておらず、遺構が見つかっていないので古墳であったかどうかも疑わしいようです。
鳥居の前から東方向。街並みに懐かしさを感じました。
ここから南の安閑天皇陵(高屋築山古墳・高屋城山古墳)を目指します。
道の脇の古墳一覧。どれだけ回れるのか…
木造瓦葺の建物も。
こちらの銭湯は閉鎖された様子。
川を渡ります。
橋から上流を。この川はすぐ東で石川に、さらに北に3㎞で大和川に合流します。
渡るとするに近鉄大阪線の踏切。
踏切の南のこの丘に「城不動坂古墳」のピンが立っているのでスロープを上がります。
上がった先にはフェンスに囲まれた土盛り。
鎖で施錠されていました。
「古市古墳群をあるく」によれば、城不動坂(しろふどうざか)古墳は6世紀中頃築と推定される全長50mの前方後円墳で、両袖式の横穴式石室を持つとのこと。石室内からは凝灰岩性の組合式家形石棺の破片などが、周堀から盾持人物埴輪などが見つかっているとのこと。ただ、「現在は住宅が建てられており、古墳のあった場所はどこかわからなくなっています」とあるので、ピンが立つここは一部なのかも知れませんね。
室町時代後期に高屋城が築かれて、墳丘は破壊されていたそうですが、周囲に大きく広がっていたその城跡も昭和の宅地開発で破壊されたとのことでした。