墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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石上神社古墳(成願寺2号墳) 埼玉県坂戸市北大塚

前回の北峰1号墳の600mほど南、葛川を渡った先でその南の高麗川との中間に、石上神社古墳があった。

 

墳丘(神社)の南側に参拝者向けの駐車場あり。

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4,5段上がったその先が高くなっています。

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こちらが石上神社の社殿。

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境内には銀杏が沢山落ちていて、慎重に歩く必要がありました。

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銀杏の他にも目を惹く木が。

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雑巾を絞り切ったようにねじれてた幹。

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説明板がありました。

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入西(にっさい)のビャクシン
埼玉県指定天然記念物
樹高12m、幹周り約3.5m、直径約1mで、幹が右回りにねじれていることから「ねじれっ木」と呼ばれて大切にされています。昔、徳の高いお坊様が、地面に突き立てた杖が根付いたと伝えられています。
ビャクシンはヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉喬木で、イブキ、イブキビャクシンなどと呼ばれています。
昭和6年に埼玉県の天然記念物に指定され、当時の入西村の地名をとって、「入西のビャクシン」と名付けられました。
ビャクシンは、臨済宗の寺院に多く植えられており、臨済禅宗と密接な関係にあったようです。
現に湯河原の城願寺、北鎌倉の建長寺、川口の長徳寺などに見られます。
入西のビャクシンの近くにある成願寺は、臨済宗の僧、乾峰士雲が開いたと伝わる寺です。乾峰士雲は、文和4年(1355)に鎌倉五山の建長寺・円覚寺の住職を兼ねた高僧でした。
現在、この地は、石上(いしがみ)神社の境内になっていますが、もとは成願寺の境内だったと考えられいます。
成願寺創建にちなんでビャクシンが植えられたとすれば、文和4年以後のことで、樹齢650年余となると考えられています。
入西のビャクシンは、天然記念物としてだけでなく、歴史の商人としても生き続けているのです。
平成25年2月 坂戸市教育委員会

 

社殿後ろに3,4mの盛り上がりがあります。

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その頂部に小さな祠が見えるのですが、行けそうなルートが無く断念。

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ふっき~さんは2回訪ねられています。

埼玉県坂戸市 成願寺2号墳(石上神社古墳) | 古墳探訪記

上記によれば、全長50mほどの前方後円墳のようで、そうすると社殿後ろの高まりが後円部、境内が前方部なのでしょう。

 

裏側の道から見上げてみました。こちらが後円部の先端側か。

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その道の南方向。いい風情を残していました。

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境内(墳丘?)の端からの眺め。

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