墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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常福寺 愛宕神社 茨城県土浦市下高津

前回のつづき。

武者塚古墳保存施設から、上高津貝塚ふるさと歴史の広場へ向かう途中、市の観光サイトにあった寺社に立ち寄った。

常福寺の薬師如来坐像 | 土浦市公式ホームページ

旧水戸街道沿い、街道が台地上から桜川が中央を流れる土浦旧市街に下っていく場所にある。本堂前の駐車場をはさんで愛宕神社があった。

まずは愛宕神社へ。茅葺の神社は珍しいのではないか。

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社殿は土浦市指定の文化財で詳しい説明板があった。

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「愛宕神社の文化財

愛宕神社は旧土浦城下を臨む高津台にあり、寛文9(1669)年に城主となった土屋数直が城の鬼門を守護するために奉斎し、社殿などを改築したと伝えられる。現在境内には市指定文化財となる社殿のほか、享保5(1720)年銘の鳥居などが残る。当神社の祭神は火の神である軻遇突智命(カグツチノミコト)であるが、ご神体は本地仏である勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)であり、愛宕権現と習合して火伏せの神として信仰されてきた。

市指定文化財 建造物 愛宕神社本拝殿 指定 2001/3/1

社殿は木造で、前方に拝殿、後方に本殿を接して配置する。屋根は茅葺の入母屋造であり、T字形の二棟を持つ。間取りは内・外陣形式で、平面形が凸形で珍しい。垂木の配置はこの地方の民家に多く見られるものである。これらの社殿の特徴は、既存の神社建築様式とは異なるところが多く、地方色が色濃いことを示している。茅葺屋根の社殿は、市内でも数少ないことから貴重である。

その他の特徴として、拝殿の柱間装置は、現在、板壁と引違い板戸となるが、当初は蔀戸(しとみど)であったことが確認できる。また、拝殿内部の格天井は後付けであるが、鏡板には極彩色の花鳥画が描かれている。

現在の社殿は文化8(1811)年の再建と伝えられ、それは構法からも理解できる。大棟には土屋家の家紋である三ツ石紋が配されている」

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茅葺屋根の両端に、千木が乗る。

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形式としたは平入りになるが、説明板にあるように本殿部分が後ろに凸型に出ているので、屋根のカーブが複雑で面白い。緑の草が生えた部分もあった。

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お寺の駐車場は本殿の背後になる。正面からお参りするために、階段を鳥居のところまで降りる。

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鳥居は台地の中腹ぐらいにあった。

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社殿のすぐ隣の高津稲荷神社では、鳥居のほぼ正面に巨木が聳えていた。

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樹木名がわからないが、かなり太く、高かった。

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すぐそばには、市の天然記念物指定を受けたイチョウ(推定樹齢400年)も。

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銀杏が沢山落ちていて、独特のにおいが漂っていた。

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次に常福寺へお参り。

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ここもきれいな説明板がある。

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薬師如来像のところまでを下記に転載。

「常福寺の文化財

常福寺は、平安時代初期に最澄の弟子の天台僧最仙の開基と伝えられる。後に真言宗に改宗されて、現在に続く。

国指定重要文化財 彫刻 木造薬師如来像 指定大正9(1920)年8月16日

薬師如来は薬師瑠璃光如来。大医王仏ともいわれ、東方浄瑠璃世界の教主で、病や苦悩を救う仏として信仰される。

この薬師如来像は、像高127センチで、カヤの寄木造である。元々は漆箔だが、箔は剥落している。目は彫眼である。

平安末期(12世紀)頃の作で定朝様式であるが、地方的特徴も見られる。常福寺の本尊である」

 

ガラス越しにお顔を撮らせていただいた。バランスのとれた立派な体躯のように見えた。

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台地下に降りる道沿いには、無縁仏(?)が林立している場所があった。

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お寺の墓地の道を北に進むとすぐに展望のよい場所につきあたる。下の写真は少しズーム。筑波山と桜川(左の方の青)、川の土手(真ん中の緑)、土浦市街がきれいに見えた。かつてはここに古墳があったに違いないと感じた。

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 つづく。