このシリーズを始めたきっかけは、無くなってしまった建築に気づいたことにありました。
その後に中央区のサイトなどで、他にも最近になって無くなった建物があったことを知りました。
ストリートビューで遡ると画像が残っているものもあったので、わかる範囲でまとめてみました。
入船1丁目、昭和4年築の久長家住宅があった場所。
「典型的な町家の構えを持ちながら、一部に銅板を貼付け、看板建築への過渡期を示す」もので「入船地区にあって、太平洋戦争中の建物疎開を奇跡的に逃れ残存した建物」だったそうです。
元は米屋さんで、俵を積むために1階の土間の天井が高くなっていたとのこと。
2020年の2月つまり1年前までは、きれいな形で残っていたようです。
こちらは築地6丁目、長屋建築が周囲に残る駐車場。
2017年9月時点のストリートビューを見ると、寺社風の名残りがある建物が。以前は、お風呂屋さんだったように見えますが…
こちらの東京ノスタルジアさんのブログにて、旧入船湯と知りました。
ほかにも、ノスタルジックな建物が満載です(現存しないものも多数)
こちらは築地7丁目で真新しいマンションが建つ角地。
2017年10月時点では、2階に素敵なベランダがある看板建築がありました。よく見ると2階の窓には「撮影禁止」の貼り紙が何枚も。
晴海通り沿いの歩道で目にした「周辺地図」では、築地7丁目の大宗旅館の近くに「濱野家住宅」の表示があるのに気づきました。
何度か行ってみて、判明した現状。
2014年4月時点のストリートビューには、堂々とした木造家屋が写っていました。
中央区のサイトに昭和2年築とある君野家住宅の跡では、新しいホテルが完成間近です。
君野家住宅 中央区ホームページによれば、関東大震災の跡に魚市場の移転とともに築地に移転した事務所で、正面の切妻平入りの背後に切妻妻入りの建物が接続する特殊な町家建築だそう。
2019年5月時点ではしっかり残っていましたが。
前出のサイトの解説には「君野家の向いは看板建築が多く残る一画であり、震災後の昭和初期の歴史的な界隈を形成する」とありますが、今はその一画全体を覆うように大型マンションが建設中。
その一画(築地7丁目2番地)を北東側から。
同じ場所から。2018年4月。
ストリートビューでは、細い路地の中まで見ることが出来ます。
中央区のサイトにはこの一画全体の解説もあり、「看板建築が群として残る町並み」で「近年になって看板建築群の1階部分にはそれぞれビストロバー、居酒屋などが入り、隠れ家的な飲食店が集まるスポット」となっていたそうです。
6丁目2番地で、一棟だけ残った建物を愛おしく感じました。