人形町で一番賑わいのあるあたり、甘酒横丁にある芳味亭(ほうみてい)
中央区のサイトには昭和初期の建築とありますが、現在の店舗は真新しい雰囲気です。
かつての建物はどこだったのだろうと検索していると、ストリートビューにありました。2018年まではこちらの、「数寄屋風お座敷の洋風レストラン」が写っています。
中央区のサイトの解説を読むと、一度は訪ねてみたかったと強く思いました。
外観からは想像がつかない、数寄屋風お座敷の洋風レストラン
明治座の歌舞伎役者から愛され、向田邦子も通った老舗洋食店の歴史を象徴する建物である。
外観はシンプルなモルタル塗りで、内装は凝った数寄屋風となっている。
老舗の人気レストランであり、食事をしながら凝った内部空間を楽しむことができる。
人形町のこのあたりには歴史的建造物が良く残り、歴史的景観を形成している。
お店のサイトに、旧本店の室内写真があります。
跡地は今は駐車場。
その現在の芳味亭正面から北への路地がありました。(中央奥が芳味亭)
2階の軒下の銅板貼りが残る建築が。
路地の北方向を。
その一本東の通りには「今半」があります。
同じ通りの少し北側の看板建築。2階部分が良く残っています。
南西側は間口が1間。細長い建物です。
向かい側にも看板建築。「伊勢利((いせり)」というフレンチレストランになっています。
人形町 伊勢利|日本橋のごはん|「日本橋ごよみ」のご紹介|まち日本橋
その周りには風格ある建物が集まっています。
2階軒下の銅板をちらりと見せています。
こちらは板壁の、風情ある建物。
並びの様子も素敵です。
一本北側の小道にある喜寿司さん。並びの建物も凝った造りです。
上記の背面側には、三連の看板建築。
モルタル壁が見事です。店舗としては営業していないようでした。
一階の銅板貼り。かつての戸袋でしょう。
中央区のサイトに写真付きで解説がありました。
「武家地を中心に形成された間口の広い町並み」
もとは武家地であった土地を中心に形成されたまちであり、敷地の細分化が進んだのが昭和初期以降であるため、間口が広い敷地割が多い。そのため、間口が広く奥行きの浅い震災後の通りに面した看板建築や、明治前期に通された狭い路地に面する間口が広く、奥行きが浅い仕舞屋が立つ町並みとなった。現在の通り・路地は、概ね戦前に完成されたものである。
そこから100mほど西にある伊東旅館。
そのそばにあった「銀寿司」
入口の引き戸が道に対して斜行する造りでした。
訪ねてみたくなる魅力的な店が沢山ありました。