墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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日本橋小網町・日本橋箱崎町・日本橋中州界隈 東京都中央区

日本橋”半島”の南側、首都高6号線の高架近くの建物を。

こちらは醤油会館の南側、入正醤油東京出張所の並びの建物。扉脇にも「イリショウ醤油」の小さな看板が。

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その南の高速高架下にあった箱崎川第一公園。日本橋箱崎町です。

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かつては行徳河岸と呼ばれていました。

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行徳河岸
かつて、箱崎町と小網町・蛎殻町の間には、運河である箱崎川が流れていました。寛永9年(1632)、南葛飾郡本行徳村(千葉県市川市)の村民が小網町3丁目先の河岸地を幕府より借りうけ、江戸と行徳の間で、小荷物や旅客の輸送を開始して以来、ここは行徳河岸と呼ばれるようになりました。江戸と行徳とをむすぶ船は毎日運航され、成田山新勝寺の参詣などで房総に向かう多くの人々が、この水路を利用しました。
平成14年3月 中央区教育委員会

 

公園から見た日本橋川。

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地図上の「箱崎」印のあたりから対岸を見ています。

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そこはかつての箱崎橋の位置だったようです。(文明開化期:東京時層地図アプリより)

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高速南側沿いに東へ250mほど行くと、三階建ての看板建築がありました。ここもまだ日本橋箱崎町。

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銅板貼りの三階建ては珍しいのでは。

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そこから500m以上東の、あやめ第一公園は日本橋中州。

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公園脇に、模型にしたいようなレトロな家屋がありました。

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そこから50mほど東にあった「増田クリーニング」

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素敵なモダン建築ですが、クリーニング店としては営業されていないようでした。