いよいよ日本橋人形町です。
日比谷線の人形町駅を出ると目にとびこんできた、親子丼の玉ひでの行列。
人形町通りの西側のエリア、一本並行する道に残る看板建築。
別の日に、別の角度から。
こちらの豆腐屋さんは中央区のサイトにも載っています。昭和初期の築。
日本橋人形町に残る、銅板貼り看板建築の典型的建物
狭い間口で正面を銅板貼りとして軒を立ち上げ、陸屋根風に見せる看板建築の典型的な建物である。
建物側面の外壁の高さが正面外壁部分まである点も特徴的である。
戸袋の亀甲貼りなど、細部に凝った銅板貼りの装飾がみられる。
日本橋人形町は歴史的建造物が良く残り、歴史的な景観を形成しているエリアであるが、本建築の周辺には歴史的な建物が少なく、日本橋人形町の歴史を知る上でも貴重である。
その少し南側の、京粕漬魚久の建物のひとつは昭和10~20年頃の築。
京粕漬魚久
老舗粕漬屋が活用する、角地型モルタル塗り看板建築の代表例
帝都復興における角地隅切りに配慮してデザインされた、角地型モルタル塗り看板建築である。
窓枠や軒周りの装飾等、洋風の意匠が取り入れられていて興味深い。
老舗粕漬屋が水天宮に続き日本橋人形町に開いた店舗で、老舗の変遷を伝えている。
元々の意匠を尊重し、老舗のイメージを継承した改修を行っている。
お店のサイトはこちら。周りに複数の店舗があるようです。
少し北側にあるこちらも看板建築では。
その一本北側の枝道が魅力的です。入ってみたいお店がいくつも。
人形町通り側には大観音寺。
毎月11日・17日に御開帳される、鉄造の菩薩像(頭部)があります。
鉄造菩薩頭
大観音寺には、本尊である鋳鉄製の菩薩頭(総高170㎝、面幅54㎝)が安置されています。菩薩頭の頭上には高さ53㎝の高けいがあり、後補である鋳銅製蓮華座の台座上に祀られています。
この菩薩頭の由来については、かつて鎌倉の新清水寺に祀られていた鋳鉄製の観世音菩薩像でしたが、廃寺となった後、江戸時代に頭部のみが鶴岡八幡宮前の鉄井から掘り出されたと伝わっています。その後、明治初年の神仏分離の令に際して鎌倉から移され、大観音寺に安置されました。以後、本尊として今日に至っています。本尊は、毎月11日・17日のみ開帳され、人々の信仰を集めています。
この菩薩頭は、中世造立になる関東特有の鉄仏のうちでも鎌倉時代製作の優秀な作品であることから、昭和47年4月、東京都指定有形文化財に指定されています。
平成30年3月 中央区教育委員会
参道脇には井戸も。
階段から見た小径。
「よし梅」さんには一度伺いました。おいしゅうございました。
お店の前から人形町通り方向を。