雷電山古墳は川越カントリークラブの真ん中にピンが立っている。
クラブハウスへ向かう道を進み、駐車場のすぐ手前右に古墳(大雷神社)への分岐があった。
分岐にあった古墳群の解説板。
三千塚古墳群
昭和31年2月市指定史跡
大岡地区には、雷電山古墳を中心として、数多くの小さな古墳が群衆しています。これらの多くの古墳を総称して「三千塚古墳と呼んでいます。
三千塚古墳は、明治20年~30年頃にそのほとんどが盗掘されてしまいました。そのときに出土した遺物は県外に持ち出されてしまい不明ですが、一部は国立博物館に収蔵されています。三千塚古墳群からは、古墳時代後期(6世紀~7世紀)の古墳から発見される遺物(直刀・刀子・勾玉・管玉など)が出土しています。
雷電山古墳は、これらの小さな古墳を見渡す丘陵の上に作られています。この古墳は、高さ8m・長さ80mの大きさの帆立貝式古墳(前方後円墳の一種)です。雷電山古墳からは、埴輪や底部穿孔土器(底に穴をあけた土器)などが発見されています。
雷電山古墳は、造られた場所や埴輪などから5世紀初頭に造られたものと思われます。また、雷電山古墳の周辺にある小さな古墳は、6世紀初頭から7世紀後半にかけて造られつづけた古墳であると思われます。
昭和52年3月 東松山市教育委員会
分岐のすぐ先に、社殿を戴く墳丘があった。左の境内地に駐車スペースあり。
大雷神社の扁額がある鳥居。
鳥居の先の石段。結構高さがある。
最初の踊り場に上がって。
そこから横方向、後円部斜面。
墳頂の神社に参拝。この墳頂が標高93mで周囲で最も高い(クラブハウスで84m)
拝殿後ろの本殿はまだ新しい。
本殿の後ろ(北)側。比高差が結構ある。
前方部への斜面の比高差も。
前方部上から見上げる後円部。
前方部右裾から。帆立貝式にしては前方部の長さがある感じ。
埼玉の古墳めぐりを参照すると墳長は86mで、東京都の野毛大塚古墳(帆立貝式前方後円墳:全長82m)を凌ぐ大きさだそう。
三段築成の後円部は最上段が盛土で、一、二段目は地山を削り出しているとのこと。
振り返ると下り斜面。
前方部左裾側から。左奥が後円部になる。
後円部の裾をぐるりと。
右上が社殿のある墳頂。中ほどがテラス状になっているのがわかる。
分岐のところに戻ってコースを。
茂みの向こう側にホールが空くのを待っている人の気配がしたので、急いで撮ったらピントが手前になりました。
川越CCで林に打ち込んだボールを探すと、三千塚古墳群の墳丘に遭遇できると思います。
そういえば、かつて筑波山麓の横穴式石室でロストボールを見ました。