両宮山古墳の見学後は、北隣にある和田茶臼山古墳を訪ねた。
両宮山古墳の西側の道を北へ向かう。道の両側は田んぼになった。
左端が両宮山古墳の後円部端、右端に扁平な和田茶臼山古墳が写っていて、目の前の平地は両宮山古墳の周濠跡になる。
両宮山の大きな墳丘を眺めながら歩くのは楽しかった。
そして向かう方向には和田茶臼山古墳が。墳頂が広く、側面が急傾斜で残っていて、ケーキかプリンのよう。
道の北側には畑。
両宮山古墳と周辺の古墳は、山裾から300mほど離れた平野に立地している。
墳頂に説明板が立っているので上がれそう。
西側に斜路が付いていた。
側面は急傾斜で、斜路がなかったら上がれない。
平らで広い墳頂は、きれいに草が刈られて見学しやすかった。
その説明板。元は全長55mの帆立貝形古墳であったとのこと。上ってきた斜路は、前方部の名残か?
和田茶臼山古墳 和田
国史跡。両宮山古墳の外濠に接して築かれています。現状は径約30mの円墳ですが、確認調査によって短い前方部を南西に向けた全長約55mの帆立貝形古墳であることが明らかになりました。現在は埋没していますが、墳丘の周囲には二重の濠がめぐらされており、外濠の範囲は東西約100mに達します。
5世紀の後半、両宮山古墳に従属して、同時期に築かれたと推定されます。
平成16年3月 赤磐市教育委員会
赤磐市のサイトには、後円部は径41.5m・高さ5.65mで二段築成と思われるともあった。
埴輪・葺石を持たないことや周濠の一部を両宮山古墳と共有していることから、当古墳は両宮山古墳の陪塚のひとつで、被葬者は両宮山古墳の埋葬者と親密な関係であったと想定されるそうだ。(マップで墳丘の向きもわかる)
http://www.city.akaiwa.lg.jp/bunkazai/ichiran/cyuumoku/ryouguzan/3897.html
陪塚(ばいちょう)についてのわかりやすい説明も。
陪塚:大形古墳(主墳)の近くに計画的に造られたと考えられる小形の古墳。陪塚に埋葬された人物は、大形古墳に埋葬された人物に対して、従属的な立場であったと想定される。
和田茶臼山古墳の墳頂から見た両宮山古墳(後円部先端)
パノラマで。
上記の右(西)側。
見えている高架は山陽自動車道。古代から今に続く交通の要衝。