神郷(じんごう)亀塚古墳は愛知川左岸、繖山(観音寺山)の北東裾の平野部に単独で立地する。
グーグルマップに頼ると最後に迷った。
少し手前のココで左折が正しい(ただし車は入れない)
入った先、ここで曲がる。奥から手前に来たので右折。
案内板が示す方向。
道はさらに細く。
その先で小さな橋を渡る。下流方向。
上流方向。左手は乎加(おか)神社境内。平均台のような橋があった。
橋を渡ると墳丘に出会う。
畑の先だが。
その先に説明板があった。
神郷亀塚(じんごうかめづか)古墳
神郷亀塚古墳は発掘調査によって、3世紀前半に造られた最古級の前方後方墳であることが判明しました。さらに、3世紀後半と4世紀前半にマツリがおこなわれたこともわかりました。
当時の姿をよく残すこの古墳の発見で、前方後方墳が近江で最初に造られた可能性が高くなってきました。また西方約200m先には、当時、湖東地方の中心集落である斗西(とのにし)遺跡が広がっており、古墳のあるじは、その遺跡の初代王ではないかと考えられます。
神郷亀塚古墳の大きさ
全長36.5m(濠を含めると48m以上)
全幅25m(濠を含めると50m)
高さ3.8m(濠の底から5.3m)
東近江市
なんと、3世紀前半(弥生時代?)に築かれた前方後方墳だった。(ということは”古墳”でなくて”墳丘墓”?)
道筋が見えたので墳丘へ近づいた。
墳丘まで続いていたので上がらせていただいた。
細尾根の前方部から後方部。
後方部の先の樹木。
たわわに実るのは渋柿か。
その根元は墳丘の裾。
振り返っての後方部墳頂。
下記は東近江市埋蔵文化財センター発行パンフの実測図。墳丘は中心部の一部しか残っていないが、平成12年の発掘調査では後方部墳頂から2基の木槨墓が並んで見つかっている。
パンフには下記の解説も。実は、大変貴重な”古墳”だった。
・墳丘から出土した土器の年代から判断すると築造時期は3世紀前半と推定され、国内最古級の前方後方墳となる。
・平地に築かれた出現期の古墳で墳丘の形や高さがわかるのは、全国でも現在この古墳のみ。
・古墳の西側には弥生時代末の土器が埋納された溝と同時期の住居跡が発見され、墓域を定めて古墳を造っていた時に祭りが行われていたと考えられる。
南西方向の繖山(観音寺山)
北西側。住宅地の先、6㎞ほどで琵琶湖。
東側の先には和田山。
細く残っている前方部を、後方部上から。