墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

円山古墳(国史跡・大岩山古墳群:桜生史跡公園) 滋賀県野洲市小篠原

前回のつづき。

近江八幡で車を借りて最初に訪ねた古墳は、野洲市の桜生(さくらばさま)史跡公園。難読です。

 

この周辺の大岩山の麓に展開する古墳群は国史跡指定。

国史跡 大岩山古墳群
桜生(さくらばさま)史跡公園
大岩山古墳群は、野洲市冨波(とば)・辻町・小篠原(こしのはら)一帯の大岩山丘陵を中心に立地し、冨波古墳・古冨波山古墳・大塚山古墳・亀塚古墳・天王山古墳・円山古墳・甲山古墳・宮山2号墳の8基が国史跡に指定されています。
ここ桜生には全長50mの前方後円墳である天王山古墳、直径28mの円墳である円山古墳、直径約30mの円墳である甲山古墳があり、いずれも近江を代表する後期古墳です。
古墳の一部が崩れたために平成6年(1994)から文化庁・滋賀県教育委員会の補助を受け、保存のため発掘調査と整備を行い「桜生史跡公園」として公開することになりました・
平成11年(1999)3月 

 

すぐ脇を東海道新幹線が通過。

月曜日だったので案内所は休館。駐車場にもチェーンが掛かっていました。

 

野洲市のサイトによれば、甲山古墳墳丘土層剥ぎ取り展示や遺物複製展示、大岩山古墳群写真パネル展示や古墳紹介ビデオ上映、円山古墳石室映像が見られるようです。

http://www.city.yasu.lg.jp/gyousei/soshiki/map/bunka/1454461763198.html 

 

園路が整備され、見学しやすい古墳公園でした。

 

スロープに導かれて墳丘へ。

 

最初に現れたのは円墳の円山(まるやま)古墳の墳丘。

 

墳長への階段もしっかりと整備。

 

墳頂から東方向。ちなみに、ゴルフ練習場の打席建物のすぐ前に宮山2号墳が残っています。

 

墳頂の周辺地図によれば、ゴルフ練習場の位置にもかつては前方後円墳(宮山1号墳)があったようです。

すぐそばでは東海道新幹線建設の土取り工事中に、弥生時代の銅鐸が24口(日本最大の銅鐸:144㎝・45㎏を含む)が出土。

 

円山古墳の広い墳頂は平地部との比高差は30mほど(標高は126m)

直径28m・高さ約8mの円墳で、6世紀初頭の築造と考えられています。

 

手すり際にあった写真パネルにはいくつかの古墳名が書かれていましたが、直接に記された大塚山古墳以外は、矢印が短すぎてどこにあるのかわからず。 

 

墳頂周囲の樹々が伸びていて眺望はところどころ。

 

ぎりぎり見えた南西側、草津方面。

 

新幹線が通ったタイミングでズームして。

 

西北西方向。

 

上記中央のズーム。島のように見えるのは生和神社の森で、その後ろに亀塚古墳や冨波古墳があるはず。

 

登った側の反対側(南側)の階段を降ります。

 

降りた柵の左下には中山道。この場所が現在でも交通の要衝であることを実感します。

 

墳丘を降りて右を見ると石室の開口部!

 

階段下にあった説明板。

円山(まるやま)古墳
野洲町大字小篠原字大岩山4番の1
大岩山から北西に延びる丘陵上に位置する直径28m、高さ約8mの6世紀はじめに造られた円墳で、墳頂は標高126.3mを測ります。
西側に入口を持つ石室は、奥に向かって天井石が1石ずつ階段状に低くなり、床も斜めに下がる約6mの通路(羨道)があります。
部屋(玄室)は、奥壁に向かって左側に袖を持ち、長さ4.3m、幅2.45m、高さ3.1mを測り、床には玉石が敷き詰められています。
玄室入口側に、長さ2.85m、幅1.43m、高さ1.83mの熊本県阿蘇凝灰岩をくり抜いた家形石棺があります。調査により蓋の縄掛突起は長辺部に2対だけでなく、短辺部にも1対あることがわかりました。また、その奥壁に沿って、二上山産出の凝灰岩でつくられた印籠型の受け部を持つ組合わせ式家形石棺もみつかりました。
盗掘を受けてはいたものの、石室からや約10,000点のガラス玉、鉄製冠の立飾、銀製の耳飾などの装身具類、装飾をこらした刀類、鉄矛、鉄鏃、挂甲などの武器や武具、馬具などが出土しました。
2001年3月 野洲町教育委員会

 

中を覗き込むと自動で点灯。

 

羨道幅ぎりぎりの大きな家形石棺は阿蘇凝灰岩製で高さはなんと1.83m。

柵越しでしたが大迫力でした。

 

開口部から南側斜面を。

 

墳丘の下へ向かう園路から。写真の下3分の1から上が墳丘。

 

下から見上げた開口部。