墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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名護市庁舎(名護市役所建物) 沖縄県名護市港

今帰仁城跡へ行った際、那覇からのルート沿いにある名建築、名護市庁舎の外観を見学した。 

 

広い駐車場に停めて南側から。 

昭和56年(1971)の竣工なので、来年で築50年!

 

上記の左側にもつづきがある。

 

角度を変えて。

 

緩やかな斜度のスロープは、竣工当時はエレベータが無かったことの解決策。

 

1階の入口上には「NAGO CITY HALL」と記される。この日は土曜日で休庁だった。

 

上部には柵状の庇が。雨は通してしまうが、夏の強烈な日差しを除け、風を通して暑さを和らげる。

 

北側から。工事用の(?)仮設建物が…

 

仮設建物を除けて。古代の神殿のような雰囲気では。

 

名護市のサイトに詳細な概要があった。

名護市は昭和45年に1町4村の合併がして発足したが、昭和51年に市民各層の代表19名からなる「名護市庁舎建設委員会」を設置され、新しい市のシンボルとしての「市民の市庁舎」を考える取り組みが始まり、市政施行10周年の昭和55年に着工され翌年完成した。

 

設計案は「2段階・公開設計競技」が採用され、昭和53年夏~翌年春までかけてコンペが行われて、一次案308案・二次案5案からTeam Zoo(象設計集団+アトリエ・モビル)が選ばれた。

目的に置かれたのは「沖縄の地域特性を体現し、市のシンボルとして長く市民に愛される市庁舎」であり、「敷地の立地条件、気象条件を生かすことはもちろん、省資源、省エネルギーを考慮し、大規模な空調方式に頼らないこと、地場材料・地元の施工技術を使いこなすこと、社会的弱者への配慮を行うこと」などが要求されたそうだ。

http://www.city.nago.okinawa.jp/about/2018072000468/

 

スロープを伝って上階へ。折り返しの「塔」から。

 

そこから右方向。

 

2階のテラスは自由に入れるようになっていた。

 

ピンクと白のコンクリートブロックが組み合わさった”カラフルさ”があるが、時間を経て落ち着いた風合いになっている。

 

2階から3階へ。

 

そこから右側を。

 

柱から外側に突き出た“棚“にはシーサーが載っていたが、なんと昨年3月に安全上の理由から全て撤去されてしまったそうだ。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/380544

 

当初は56体あったが台風や塩害で破損が進んでいた。それでも昨年までは45体が残っていたとのこと。

 

突き出た部分は主を失って寂しそう。

 

3階から”スロープ塔”を振り返って。

 

屋上には芝生広場も。

 

コンクリートブロックを用いた屋根、”穴あきブロック”を使った手すり壁など、沖縄でよく見かける意匠が採用されている。

 

通路は迷路のようで楽しい。 

 

強い日差しの下でも見てみたい。

 

外階段でも行き来できた。

 

下から見上げて。

 

西側の側面。新しい素材で補強された部分もあった。

 

南西側の角。

 

設計者の象(ぞう)設計集団は、建築家・吉阪隆正の下にいた大竹康市と樋口裕康、富田玲子、重村力、有村桂子の5名によって1971年に発足された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%A1%E8%A8%AD%E8%A8%88%E9%9B%86%E5%9B%A3

 

彼らは「外に向かって沖縄を表明する市民の為の市庁舎」という要求に、沖縄中を歩き回って答えを見つけ出したのだそう。

https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/201806/14857_201806162200.html

 

当市庁舎は1982年に日本建築学会賞を受賞している。

http://zoz.co.jp/chronological/prize/

 

吉坂隆正の作品のひとつは、昨年末にじっくり見学させていただいた。

 

名護市役所でお昼になったので、近くの「沖縄そば」の店へ。

「幸ちゃんそば」は人気店のようで外で15分ほど待った。

 

とても美味しかったです。