前回の外観・エントランス編につづいての室内編。
正面階段を上がってのエントランスが2階。吹き抜けホールに入って振り返った入口。
そこにあった全体案内図。
2・3・4階に郷土歴史館が、5階にがん在宅ケア緩和センター、6階に学童クラブなど、1階に子育て・保育施設とカフェが入る。
最新のエレベーターが複数備わるが、階段が見事。ガラスの安全壁がつく。
6階から見下ろしたところ。
6階には、かつて寮として使われていたそうだ。床は石ではなく、寄せ木張り(パーケットタイル)となっている。
6階から5階への踊り場。階段の螺旋の筒は、向かい合わせに2つある。
そこから見た窓の外。
2年半前に、下の公園から建物背面を見上げた。
階段前は4階・5階も吹き抜けになっている。
4階の中央にある旧講義室は休憩室になっている。
窓からの景色。スクラッチタイルの外壁が美しい。
4階には左翼(南側)の端に旧講堂があった。
重厚な入口扉。
座席数は340。
上下2段の黒板。
演壇左右のレリーフは、彫刻家・新海竹蔵(1897~1968)の作。
演壇前、中央から見渡してみる。
椅子のクッションと背もたれ、天井板は復原されたものだが、天地で枠線がちょうど反転しているような統一感がある。
上記以外の部材は建設当初のものがそのまま残されているそうだ。
現在は集会所として使われることはなく、見学施設として公開されている。
講堂の窓から見た中庭。
3階に降りると、中央棟に旧院長室・旧次長室があり、部屋の入口から見学できる。
旧院長室。
上記の左側。
この部屋にあった説明資料。
公衆衛生院とは
公衆衛生技術者の教育訓練および国民の保健衛生に関する調査研究を目的とした、教育・調査・研究機関で、大学のような施設でした。幅広い分野の研究を行うため、様々な分野の研究者が集まっており、現在は和光市にある国立保健医療科学院にその役割が引き継がれています。公衆衛生院は、国によって昭和13年(1938)に設立されました。大正12年(1923)の関東大震災における罹災者の救護、被災地の復興のため、傷病者の医療、防疫、上下水道など、環境衛生施設の整備計画など公衆衛生活動の重要性が広く伝わったことがきっかけです。世界各国の近代的公衆衛生活動を援助していた、米国ロックフェラー財団の支援・寄附によって、この建物は建設されました。
旧院長室
この部屋は公衆衛生院の院長の事務室として設計されました。建物の中で一番手の込んだしつらえとなっています。当時高級であったベニア材が壁と天井に使われており、床の仕上げも手の込んだ寄木によるものです。家具は現存しておらず、現在置かれている机・椅子類は、古写真を基に復原したものです。
旧次長室には家具は無かったが、内田祥三についての解説があった。
設計者について
昭和13年(1938)に建てられたこの建物は内田祥三の設計です。内田は、東京大学工学部建築学科の教授で、東京大学の本郷キャンパス内大講堂(通称:安田講堂)をはじめ、東京大学の各校舎の設計を担当した建築家としても知られています。
この土地の隣地にたつ、現・東京大学医科学研究所の建物も昭和11年、内田の設計によって建設されたものです。
内田は、昭和4年(1929)から亡くなる昭和47年まで現在の笄町(現・西麻布)に、自身設計の自宅に住んでいました。その自宅から、ここ白金台の公衆衛生院及び隣地の東京大学医科学研究所の建物を見ることができたそうで、その眺望が気に入っており、よく眺めていたという話が残されています。内田の作品の多くが、この建物のような内田ゴシック様式ですが、小石川植物園本館のような装飾を廃したモダニズム様式や、和風の帝冠様式の作品もあります。
旧次長室
この部屋は次長室で、院長室と同じベニヤ材が壁面に使われていますが、天井が漆喰仕上げ、床はシンプルなフローリングブロックとなっています。右手、建物正面に当たる、院長室と次長室の間の部屋は会議室で、現在は休憩室となっています。
休憩室・旧会議室は日当たりのよい部屋だった。
建物の特徴と改修工事についての解説も。
建物の特徴
この建物は、内田祥三の設計、大倉土木(現・大成建設)による施工で昭和13年(1938)に完成しました。大学などの学校建築に分類されます。
各階ホール及び廊下部分に注目すると、メインエントランスや院長室のある2・3階と、授業や実験を行う4・5階、研修を受けに来た人のための寮があった6階と3種類のデザインに分類でき、建物の見どころになっています。
改修工事
平成30年(20418)、郷土歴史館やがん在宅緩和ケア支援センター等として利用するために改修工事を行いました。特徴的な外観、エントランスホール、院長室や講堂をはじめ、建設当初の姿をなるべく保存しながら、使いやすいよう改修しました。ここでは公衆衛生院時代に使われていた部材や改修工事で不要になったものを展示しています。
一番下の階、1階中央ホールの床には外光を取り入れられるガラスブロックが埋め込まれていた(現在は人工光)
1階のカフェは旧食堂の一部を利用。
太い柱があるが、スクラッチタイルがいい雰囲気。
2階の南端「旧図書閲覧室」は「さわれる展示室」になっていた。
そこにはミンククジラの骨格も。
昭和の居間のコーナーも。
上記と、ガイダンスルームは入場無料。
ガイダンスルームでは港区の3万年の歴史(といってもメインは江戸以降)のプロジェクションマッピングが見られる。ちなみに古代は「芝丸山古墳」が主役を張っている。
港区郷土歴史館は非常に充実した内容で、古代では貝塚のはぎとり断面標本も見ることができる。江戸時代が特に濃い。2019年5月26日までは企画展「平成と港区」も開催中。常設展のみだと一般300円、企画展とのセット券は400円。
https://www.minato-rekishi.com/permanent/index.html
正面入口左脇で2次元バーコードのチケットを買い、フロアごとに改札を通る形になっていた。展示室は撮影不可。
ミュージアムショップもあった。