墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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青森県立三沢航空科学館 青森県三沢市大字三沢北山

八戸市で是川遺跡を見た後は、高速も使って北へ40分、三沢空港に隣接する航空科学館を訪ねた。

 

平成15年(2003)に開館した県立博物館で、地上2階建・延べ床面積1ha超の大型施設。

https://www.kokukagaku.jp/02_floormap/02_index.html

 

大きなアトリウムの右が展示棟、左にカフェや映像ホールがある。 

 

大規模な施設を県立で作ったのは「青森県が世界の航空史に果たした役割」が大きいから。根拠が4点、公式サイトに記されていた。

1、世界初の太平洋無着陸横断飛行(1931年)の出発地が三沢市淋代海岸(ミス・ビードル号:米国ワシントン州ウェナッチ市まで)
2、航空機航続距離(周回)世界記録(1938年)を樹立した航研機の設計者の一人、木村秀政氏・工場長の工藤富治氏・パイロットの藤田雄蔵氏の3名が青森県ゆかりの方々。

3、戦後初の国産輸送機YS-11の技術委員長が木村秀政氏。
4、日本初(大正時代初期)の民間飛行士・白戸榮之助の出身地 。

https://www.kokukagaku.jp/01_museum/0112_background.html

 

ちなみに白戸榮之助氏のお墓は千葉市の高徳寺にある。6年前に偶然知った。

 

入場料は一般510円。

入るとまず、太平洋無着陸横断飛行に成功したミス・ビードル号の復元機と対面する。

 

その先の広い展示室の中心にはYS-11の実機(YS-11A-500型機・JA8776)

昭和46年(1971)に日本航空機製造(株)で作られ、東亜国内航空で愛称「しれとこ」として就航、平成14年(2002)まで日本エアコミューターにて主に離島路線で活躍した。総飛行時間:59,451時間22分/フライトサイクル:60,942回。

 

客室に入ることもできた。乗客64名を載せる。

 

操縦室もドア付近から見ることができた。

 

YS-11 は昭和33年(1958)から本格的な設計が始まり、昭和37年(1962)に試作1号機が初飛行、昭和40年(1965)に初の国産実用機として国内線に就航、昭和48年(1973)まで182機が生産され海外の航空会社にも採用された。

YS-11の名は、設計を担った(財)輸送機設計研究協会から輸送のYと設計のSを、エンジンと翼の設計で各1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)と命名されたとのことだった。(下記公式サイトより)

https://www.kokukagaku.jp/02_floormap/0203_aviation/a-08.html 

 

全幅32m・全長26.30m・全高8.98m・主翼面積94.8平方メートル

 

埼玉県所沢市の航空公園駅の駅前広場にもYS-11が展示されているが中には入れない。

 

三沢航空科学館には「航研機」の復元機もある。全幅約28m・全長約15m・高さ3.6m・主翼面積87.3㎡。この機体で、日本人が航空の分野で世界記録を初めて樹立した(1937年)

 

周回航続距離11,651.011km、滞空時間62時間22分49秒だったとのこと。

 

以前に東京都八王子市の日野オートプラザで、航研機の1/5モデルを見ていた。

 

2階へ上がる階段から、YS-11を。

 

2階から展示室を。奥の壁の向こうで特別展示があったがそれは次のエントリで。

 

実機や模型以外にも、さまざまなアトラクションや”実験工房”があり、飛行機が空を飛ぶ仕組みなどが楽しく学べるようになっていた。

 

屋外展示も充実。こちらはF-16(のA型:最も古い型)

1974年の初飛行以来4000機以上が生産された。三沢基地でもF-16CJプラスというタイプが現役で使われているそう。

 

尾翼側に大きな排気口がある。展示機は米空軍から借り受けたものとのこと。

 

その隣のF-104は昭和61年に引退している。

 

この機はコックピットに座れる。非常に狭かった。

 

他にも各種戦闘機。

 

その隣には大型対潜哨戒機のP-3。 

 

米海軍からの借り受けだそう。

 

ロッキード社が製造。ターボプロペラが4発。

 

全長35.6m。

 

内部も見学可。第7艦隊司令官が移動用に使用していたもので、P-3本来の対潜哨戒仕様ではないそうだ。椅子の幅が異様に大きかった。

 

部品を取ってはいけません。

 

操縦席に座ることもできる。男の子たちが夢中になっていた。