今回が、岡山墳行シリーズ最後となる古墳。(実際はこのあと鳥取上高塚古墳へ寄ったが既にエントリ済)
県道沿いに大回りしていくと途中に目を惹く建物があった。長船美和郵便局の隣。
反対側はツタに覆われていた。 ペンキはきれいな色だったが。
突き出した庇、柱と梁をつなぐ意匠が美しい。
下見板張りに瓦屋根。検索しても何の建物か判らなかった。
すぐ脇は「東須恵」の交差点。須恵器の須恵。
県道際から北西方向。1.5㎞先、左からおりる山裾先端に、前回の牛文茶臼山古墳がある。このあたりをグーグルアースで見ると、田んぼの中に墳丘のような「島」が複数見受けられて面白い。
そこから県道を1㎞西へ行くと、左側に須恵古代館と駐車場が、その奥(南隣り)に築山古墳があった。
須恵古代館は9時半からで開館前。その壁には「須恵器の里案内板」があり、周辺の4つの古墳を回る「遺跡を廻る散歩道」も描かれていたが、時間の都合で次の機会とした。
築山古墳の平面図のアップ。裾が大きく広がるタイプの前方後円墳。
墳丘の方へ歩いていくと築山古墳の解説板が。
岡山県指定史跡 築山古墳
昭和34年3月27日指定
この古墳は、北に伸びた低い丘陵の端部を加工して造られた全長82mの前方後円墳です。前方部は東向きで幅66m、高さ約10m、後円部径38m、高さ9mを測ります。
墳丘は二段築造で、各段の縁と墳丘の裾に円筒埴輪が巡っていたことが知られています。
1907年、後円部中央の割り石小口積みの石室が掘られ、現在その上部は失われ家形石棺が露出しています。
石棺は凝灰岩製で、これまで奈良県と大阪府の境の二上山産と推測されていましたが、最近の検討により熊本県の阿蘇山産と考えられています。
遺物として鏡のほか玉類、武具、馬具などが出土しており、現在東京国立博物館に収蔵されています。これらの遺物により、この古墳は5世紀後半から6世紀前半頃の築造と考えられています。
瀬戸内市教育委員会
瀬戸内市のサイトには実測図とともに、5世紀後半に築かれた全長115mの前方後円墳と記され、二重周濠が巡り、15cm大の角礫の葺石があったことも言及されている。
自分は、何故か北側からの墳丘を撮らないままに後円部に上がっていた。右下の樹木の影に須恵古代館。
後円部上には石棺が置かれていた。
石室石材(?)とともに。
家の屋根の形をする石棺の蓋が、周囲の環境に溶け込むようにそこにある。
前方部側から。この突起に縄をかけて、はるばる阿蘇から運ばれた。
こちら側にも石材が。
割れ目から中を撮ったがピントが合わなかった。
後円部先端側には3mくらいはありそうなウド(多分)が。
後円部から前方部方向を。
前方部上は膝高ぐらいに草が繁っていた。
振り返った後円部。
前方部墳頂の隅にあった祠に参拝。
そのあたりで南西方向に眺望が開けていた。
ズームにて。中央右奥が旧児島湾。
前方部斜面を降りる途中に墓地があった。
降りた先には石碑が。
降りた先には周濠の跡。右に前方部で奥に向かって後円部。
南側からパノラマで。右が前方部、左に後円部。
前方部の先端側の路。台地を削ったような雰囲気。
墳丘の北側、右側面の裾に沿った道。造り出しの痕跡のように膨らんだ部分があった。
その奥の後円部に沿ったカーブ。
この後、須恵古代館を見学した。 入館無料。
近隣の方がボランティアで輪番で管理をされているようだった。
中央に長船町の遺跡地図、周囲の壁に展示ケース。
長船町土師宮下の木鍋山遺跡(弥生中期~中世)から出土した土器・須恵器。
西谷遺跡や邑久古窯跡群からの出土品。
築山古墳出土の神人龍虎画像鏡(左)と金鶏塚古墳(長船町西須恵)出土の馬鐸(右)の写真。下の発掘写真は金鶏塚古墳?
桂山十二ヶ乢(じゅうにがたわ)古墳出土の陶棺。
その解説。
本坊山古墳(長船町東須恵)出土の陶棺の写真展示も。
実物は東博にありました(後日の写真)
これにて岡山墳行記(2019)完了です。
11月上旬から始めて50回超のシリーズになってしまいましたが年内に終えることができました。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ちょうど、はてな公式ブログにて、トリップアドバイザーと協同のお題キャンペーン「私のおすすめ旅リスト」が開催されていることを知ったのでリストを作ってみました。アプリ内地図に示される古墳スポットが少ないですが…
https://www.tripadvisor.jp/Trips/95199710
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