墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

殿山の坂 念仏坂 小豆沢神社 東京都北区赤羽北・板橋区小豆沢

諏訪神社参拝後、境内北側の斜面下の道を西へ向かう途中で振り返って。

左の突き当りが宮の坂

 

その先で、崖を斜めに登る階段現る。 

 

ここが「殿山の坂」でした。

 

坂からの眺めが抜群。

 

東北新幹線も見えます。

 

斜面に樹木が無いので、坂上からも眺望がある。

 

北区のサイトによれば、台地上の旧字名「殿山」に由来する坂名だそう。

https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/akabanekita/tonoyama.html

 

現在の坂上は団地(都営赤羽北3丁目アパート)になっている。

 

団地の一画の、袋町公園。

 

公園前にも階段が。

 

その脇に、緩く下るのが「念仏坂」 

 

北区のサイトによると、上記を左の先ある墓地(真頂院持の墓地)に由来するそう。

https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/akabanekita/nenbutsu.html

 

中央に手すりが、坂を二分していた。

 

坂下から見た念仏坂。

 

少し先から。左よりに念仏坂。右方向に「ふか坂」があったが撮りそびれてしまった。

 

その位置から振り返ると、気持ちの良いストレート。ここから先が板橋区

 

しばらく進むと「寺坂」

 

地図に坂名は無かったが、後でこちらのサイトで知った。

http://www.sakagakkai.org/profile/itabashi/terasaka.html

 

坂下にあった「いたばし まちあるきマップ」

近くに、水上バスの発着所があるので、今度は船で訪ねてみたい。

月に一便、要予約。

https://www.tokyo-park.or.jp/waterbus/course/pdf/tokubetuyurabura.pdf

 

坂の上には龍福寺。

 

お寺に関する説明板。 「小豆沢」の地名由来を初めて知った。

龍福寺
御本尊は大日如来。宗派は真言宗智山派。薬王山東光院龍福寺と号しています。
本寺は室町時代末に袋村の真頂院(北区赤羽3丁目)の僧運珍が隠居寺として創建したのに始まるといわれています。その後の寺歴については不明ですが、19世紀初頭の「新編武蔵風土記稿」に末寺として興隆寺や教性院があげられているので、この頃には寺勢を誇る寺となっていたことがわかります。
本寺に伝わる「薬師縁起」には、薬師堂に祀られている薬師如来秘仏)が、天長年間(824~834)に台地下の七々子崎(ななこざき)と呼ばれる荒川の入江で発見されたことや、小豆沢の地名が、平将門への貢ぎ物を積んだ舟がここで沈み、その際積み荷の小豆が流出したことに由来していることが書かれています。
本寺には、かつて20余基の板碑があって、板碑寺とも呼ばれていましたが、先の大戦の空襲により半数以上を失い、現在では9基が残るのみです。そのうち建長7年(1255)の板碑は昭和58年度に板橋区の指定文化財となり、残りの8基は平成27年度に登録文化財となりました。
なお、本寺は豊島八十八ヶ所霊場の第86番札所となっています。
平成29年3月 板橋区教育委員会 

 

その西隣に、小豆沢神社。

社殿は周囲より1~2mほど高い場所に立地していたが、後で東京都遺跡地図で調べるとこのあたりは「小豆沢観音塚古墳」と記されていた(情報は「墳墓」のみ)

慌ただしく参拝だけ済ませてしまったので、次回きちんと周囲を見てみたい。

 

神社境内の古木と説明板。「小豆沢」の別の由来も書かれていた。

小豆沢神社とスダジイ
御祭神 国之常立神 他16柱
当社は、康平年間(1058~1065)、源義家の勧請と伝えられます。江戸時代には、十二天社と呼ばれ、小豆沢村の鎮守でした。
小豆沢の地名の由来については。
1、平将門の時代、神社の台地下の入江(荒川の昔の河道)に停泊中の船が嵐に遭い、小豆を積んだ袋を流出した。
2、上流から漂着した米を腐らないうちにと食べたことを、裁判で評価され、祝いの小豆飯を炊いた。
という二つの故事が残ります。現在では、後者の故事に因み、毎年6月15日に餅つき祭が執り行われています。
明治2年(1896)、社号を小豆沢神社に改め現在に至っています。
二の鳥居脇の「スダジイ」は、当社の御神木です。南の道路側へやや傾斜し、幹の内部が空洞化していますが、樹勢は良好です。天然記念物として、平成6年度、区の記念物に登録されました。
平成9年3月 板橋区教育委員会

 

 二の鳥居の南には、堂々とした並木の参道が90mほど。

 

その先の、一の鳥居から振り返って。

 

鳥居の南側の墓地の中に「小豆沢貝塚」の印があったので行ってみた。

 

印のあたり。背面の塀の脇に貝塚の説明板があったことを、後でストリートビューを見て知った。

解説もそこで読めるが、大森貝塚や西ヶ原貝塚とともに明治中期では広く知られた遺跡であったとのこと。

 

そこから小豆沢通りに出て志村坂上駅へ。駅近くの、トーハツ株式会社の門。

たまたま通り沿いで見かけた蕎麦屋さん「松月」に入って「普通のもりそば」を頼んだら、盛りが山になっていて驚きました。