前回のつづき。
池上梅園の後は馬込文士村界隈を歩き、いくつかの記念館を訪ねた。
初めに向かったのは熊谷恒子記念館。
住宅街だが起伏があって歩きがいのあるエリア。枝道に気になる石段が。
コンクリの下から元の石が顔を出している。
上がった先は細道。右は新築住宅が並ぶ。
すぐ先も階段だったので、前の写真の工事中斜面は、新築に入る方が自転車を使えるようにするためのものかも。
その”すぐ先”の階段。
下から見上げた階段。
階段の下も細道。
そのすぐ北の、桐里自然公園。斜面を均してつくられている。
公園北東側には坂の途中に五差路。
坂を降りると、大きな桜の並木道があった。
グーグルアースで見ると並木は500mほど続く。満開を狙って再訪したい。
「東京時層地図」アプリで調べると、昭和30年代には川が流れていた。中央の橋のあたりが現在地になる。
上の地図の等高線でもわかるが、「段彩陰影」図で見ると、谷地形であることがさらによくわかる。
上記をズームアウトして。まん中の大きな”入り江”の中間が現在地。その下の舌状台地の左側が池上本門寺がある。
桜並木の道を横断して、坂を上ると目指す記念館があった。
大谷石の擁壁の後ろ、道から5mほど上がった地盤に建つ。
壁の前にあった説明板。書家・熊谷恒子については、恥ずかしながらここへ伺って初めて知った。
眺望を楽しんだ 書家・熊谷恒子(くまがいつねこ:1893~1986)
気品あふれる作風で知られ、かな書道界の巨匠とうたわれた熊谷恒子がはじめて書の先生についたのは「わが子の稽古に付き添って」のこと、本格的に書道を志したのは35歳の時からでした。
常に家庭を大切にし、「よい時代であったから子育てのかたわら書道を続けてこられた」「趣味がいつしか生涯の仕事となった」とはいうものの、苦労の多い時代にあって書道と家庭を両立し続けていくことは容易ではありませんでした。「決して過去をふり返ってくよくよしたりしない」人柄と並々ならぬ努力、そして何よりも書への一途な思いがあってのことでした。
馬込の家は昭和11年に建てられたもので、庭の花を見渡せる一階の書室で作品にとりくんでいたそうです。
参考文献 月刊「おとなりさん」、冬樹社「私の転機・こころの手紙」
大田区
この時の展示は、かなの美展「優美の調和 女性とかな」(2019/4/14まで)
上記のポストの裏側。年季の入った現役。
階段を上がると玄関脇に銅像がある。入館料は一般100円。
当記念館は熊谷恒子が書道家としての人生のほとんどを過ごした自邸で、平成2年に改装されて記念館となっている。
熊谷恒子の作品を約170点所蔵、季節ごとに四季にあった作品が展示されているそうだ。
https://www.ota-bunka.or.jp/Default.aspx?TabId=228
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/kumagai_kinenkan.html
公式サイトの紹介どおり、枕草子や源氏物語など女性が執筆した作品の一節が優美な仮名で書かれて(描かれて?)いて、かな書道の世界の一端に触れることができた。
さらに、昭和11年(1926)に建てられた建物も、当時の空気がそのまま感じられるほどしっかり残っていて素晴らしかった。
室内撮影は禁止だが、窓からの庭の眺めは許可をいただけた。
2階には、実際に筆で書くことが試せるコーナーがある。
そういえば自分も、小学生の頃は近所の教室で書道を習っていたなあと懐かしくなった。
見学後、玄関前から。かつて目の前は遮るものも無く、遠くまで見渡せただろう。
上記の駐車場の先から、振り返ってのズーム。