墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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富士山本宮浅間大社 静岡県富士宮市宮町

前回のつづき。

この日(3/17)最後に訪ねたのは富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)

富士山世界遺産センターから徒歩3分ほどで二之鳥居の前。広い有料駐車場がある。 

 

案内絵図を見ると比較的シンプルな境内。

 

まっすぐ参道を進むと楼門がある。本殿や拝殿とともに、慶長9年(1604)徳川家康が造営したもの。

 

楼門前は流鏑馬が行われる「桜の馬場」

 

楼門をくぐると正面に拝殿。

 

拝殿に右には武田信玄が植えたとされる枝垂れ桜(の二世)

 

まだ咲き始めの時期だった。懐かしい季節。

 

神社の由緒は公式サイトに詳しいが、孝霊天皇の御代に富士山が噴火し長期にわたって周辺が荒れ果てたため、4代後の垂仁天皇が浅間大神を山麓に祀り山霊を鎮められたと「富士本宮浅間社記」にあるそうだ。

http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html

 

また富士宮市のサイトによれば同記には大同元年(806)に山宮浅間神社の地から現在地に移転したとあるとのこと。

その際に、噴火を水によって鎮める考え方から、富士山溶岩流の末端にて溶岩の間から湧き出る水が形成する池のほとりに置かれたと考えられるそう。

http://www.city.fujinomiya.lg.jp/fujisan/llti2b0000001lsq.html

江戸時代になると徳川家康の寄進で社殿が造営され、安永8年(1779)には幕府の裁許によってなんと富士山の八合目以上の支配権が認められ、一旦は明治時代に国有地化されたが平成16年(2004)に浅間大社に返還されたそうだ。

 

拝殿の後ろ、高く造られた本殿(二重楼閣造り:重文)

 

静岡浅間大社も楼閣のような造りだった。家康好みか。

 

ちなみに奥宮は富士山頂にある。  

 

社殿付近の絵図。すぐ東に池がある。

 

透明度の高い池があった。 

 

「御霊水」を汲める水屋神社もあった。

 

湧玉池(わくたまいけ)は国の特別天然記念物とのこと。毎秒3.6キロリットルとは、ペットボトル大(2リットル)1800本分が1秒で湧き出ていることになる。

2トントラックベースの給水車でも2キロリットル。ということは1秒でトラック2台分近く!

http://www.nikki-net.co.jp/fire-engine/disaster

 

湧玉池からの流れは、さすがに滔々としていた。