墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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名分丸山古墳 島根県松江市鹿島町名分

古曽志町の古墳を見た後は、北に4㎞ほどの鹿島町にある名分丸山(みょうぶんまるやま)古墳へ向かいました。

 

佐陀川沿いの県道から北への枝道を少し進むと右手に標識が。(これを見つけるまでに何度か行き来しました)


少し上がると左手にため池が現れます。

 

柵もある、整備された道。

 

最後は階段に。標識の30mはちょっと違いすぎるのでは(あるあるですが)

 

その先にも階段が続いていました。

 

登った先の墳丘!

名分丸山古墳は全長約40mの前方後方墳。右が後方部で左奥が前方部です。



現地説明板によれば、古墳時代前期(3~4世紀)の築造で、雲南市の松本3号墳(今回の墳行で最初に訪ねた古墳)とよく似た形をしているとのこと。

名分丸山古墳群
古墳時代前期(3~4世紀)のものと考えられる前方後方墳で、前方部を南東に向けており、全長は約40mあります。発掘はおこなっていませんが、奈良県桜井市の箸墓古墳のように前方部が三味線のバチの形に大きく広がることから、出雲地方最古の古墳の後補です。よく似た形の墳丘をもつ古墳に雲南市三刀屋町の松本3号墳(全長52m)があります。

 

鞍部に上がって後方部を。

 

後方部に向かって左側面。杭の打ち方に前方後方墳らしさ(?)

 

向かって右側。こちら側から上ってきました。


スマホでも。


後方部に上がって、前方部方向を。

 

後方部の先端方向。木々が無ければ目の前に佐陀川が見えるはず。

ここから2.5㎞西が日本海に面した恵曇(えとも)港。佐陀川は宍道湖につながっており、ここが交通の要衝であったことをうかがわせます。

 

こちらは途中にあった佐太神社。名分丸山古墳の1㎞ほど南。

 

宍道湖までは水田が広がるので、かつてはこのあたりまで湖面が入り込んでいたのではないでしょうか。

 

平入りの拝殿の先には、妻入りの本殿が3棟(右の木立の後ろにも)

 

拝殿を南側から。

 

拝殿を背にして神門。

 

ご由緒。

八百万の神々が集う「神在の社」
出雲国二ノ宮 佐太神社 御由緒略記
御祭神
北殿:天照大神 瓊瓊杵尊
正中殿:佐太大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 事解男命 速玉之男命
南殿:素戔嗚尊 秘説四座
御神徳・沿革
当社は出雲国風土記に佐太大神社或いは佐太御子社とあり、三笠山を背に広壮な大社造りの本殿が相並んで御鎮座になっているので佐太三社とも称され、延喜式には佐陀大社と記され出雲二宮と仰がれてきた御社である。主祭神佐太大神(猿田毘古大神)は日本海に面する加賀の潜戸に御誕生になり出雲四大神の一柱として崇められ古くから導きの神・道開きの神・福の神・長寿の神・陸海交通守護神・鎮守の神として信仰されてきた。御本殿は三殿並立で中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿、いずれも大社造りでこの様な豪壮な三殿構えは平安時代末期に成立したようであり他に類例を見ないもので、神社建築史の上で特筆すべきものである。現在の御社殿は文化四年の造営であるがその様式は古く、元亀年間の造営を踏襲してきたもののようである。この御本殿三社は国の重要文化財に指定されている。
(後略)