墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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清水山古墳(谷津山4号墳) 音羽山清水寺 静岡県静岡市葵区音羽町

前回のつづき。

谷津山古墳を見学後、同じ丘の上にある清水山古墳を訪ねた。

グーグルマップを見ていて知った場所。

 

ハイキングコースにもなっている路を進む。

鞍部で振り返ったところ。整備されているが両側が切れた尾根道。

 

その先に古墳のある広場があった。

 

中央に墳丘らしき植え込みがある。

 

歩いてきた方向を振り返って。

 

植え込みの周囲を回っても入口は見当たらなかった。

 

中は盛土が残っていて、墳頂に「談山碑」と刻まれた石碑が建っていた。

 

現地には古墳であることを示すものは何も見当たらなかった。

 

こちらの「静岡観光おでかけガイド」さんのサイトに「谷津山4号墳」としての解説があった。

http://blog.livedoor.jp/shizuokak/archives/1915795.html

古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた円墳で、大正6年(1917)の発掘調査では横穴式石室から組合式箱形石棺4基が見つかっている。石棺1基は伊豆凝灰岩製とのこと。

広場には朝礼台(?)が置かれていた。右が古墳。奥は北側。

 

北側への降り口。眼下に家並みが水面のように広がっていた。

 

北へは降りずに西側の道を下った。

 

少し下って、墳丘のあった広場を見上げる。

 

降りていくとイチョウの絨毯の中に熊野神社があった。

 

参拝して振り返ったところ。

 

さらに降りると美しい屋根の観音堂があった。

 

音羽山清水寺で永禄2年(1559)の築。徳川家康がしばしば参詣したそうだ。

清水寺(音羽山清水寺)
この寺は、永禄2年(1559)今川氏第八代氏輝の遺命を受けて、家臣朝比奈丹波守元長が創建した真言宗の寺である。
本尊は千手観世音菩薩であり、寺の名前は開山第一世の道因大僧正が、京都清水寺から招かれて入寺したことから、故郷を偲んで、音羽山清水寺と名付けられたといわれている。
後に徳川家康公は、しばしば当寺へ参詣し、公自身の持念仏である千手観世音菩薩を納めたと伝えられる。
この観音堂は、木造瓦葺四注造(寄棟造ともいわれる屋根の形式で、奈良東大寺大仏殿などの重要建築物の屋根に多くみられる)廻縁つきで、内部ははげ落ちているが極彩色であって、桃山時代の特長がうかがわれる。
また、観音堂厨子は間口94cm、奥行73cmの木造瓦葺妻入宮殿造りで、昭和31年5月観音堂と共に、静岡県指定の重要文化財になっている。
なお、境内には明和7年に建てられた江戸時代の俳人松尾芭蕉の句碑がたてられている。
「駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ」
昭和61年1月 静岡市

 

鐘楼もあった。

 

鐘楼軒下の複雑に入り組んだ木組み。

 

さらに降りていくと大きな地蔵さま。奥が清水寺の本堂になる。

 

下まで降りて振り返ったところ。スタジアムのような石段だった。

 

門前の「きよみずさん通り」を100mほど進むと、静岡鉄道の音羽町駅に到着。

すぐに来た新静岡行きに乗った。静岡鉄道は本数が多く、通常時間帯で7分おき。便利で助かりました。