墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

駿府城跡 静岡県静岡市葵区駿府城公園

前回のつづき。

新静岡駅から次の目的地、賤機山古墳を目指して中心街を歩いた。

駿府城の二ノ丸堀。

堀に面した静岡県庁の21階展望ロビーで古墳のある丘陵を遠望したいと思ったが、なんとこの日は月一回の休館日だった・・・(第3土曜と翌日曜)

 

駿府城の南東角の巽櫓。右に東御門。平成元年と8年に復元。

外観のみ写したが内部も見学できる(共通券で一般360円)

 

二ノ丸櫓跡に向かう橋から西側。

 

同じく東側。見事な石垣だった。

 

旧城内は芝生や庭園のある駿府城公園となっている。紅葉山庭園と復元建物内のみ有料。

城の解説はとてもわかりやすかった。

駿府城
今から約650年前の室町時代今川範国駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。九代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮しました。永禄3年(1560)今川義元桶狭間織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し、永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。
徳川家康は、駿府の武田氏を天正10年(1582)に追放した後、同13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。しかし徳川家康は、天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏駿府城の城主になりました。その後、徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603)に将軍職を息子秀忠に譲り、同12年(1607)には大御所として三たび駿府に入りました。この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。城には三重の堀が廻り、堀に囲まれた曲輪を内側から「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」とする典型的な輪郭式の縄張りとしています。
大御所の城にふさわしく、築城に際して「天下普請」として全国の大名が助役を命じられ、各地から優秀な技術者や多量の資材が集められました。
また、安倍川の堤の改修や、城下町の整備なども行われ、現在の静岡市街地の原形が造られました。静岡市教育委員会

 

南西の隅の坤櫓(ひつじさるやぐら)は平成26年の復元。

 

中はMRによる体験アトラクション等面白そうな展示のある博物館だが、先が長かったので次の機会とした。

http://sumpu-castlepark.com/hitsujisaru/scope/#page

 

二ノ丸橋の方へ向かっていくと「見学無料 駿府城天守台発掘調査現場」と書かれた囲いがあった。「無」の字の上に富士山。

 

平成28年から30年にかけて天守台石垣と本丸堀(内堀)が、31年には今川時代の遺構が発掘調査される。

 

マップの部分のアップ。二ノ丸と本丸とで向きが変わっているのが興味深かった。

 

地下から現れた本丸堀の石垣。

 

本丸の北西側の角。右奥は掘り出した土砂か。

見学路は奥へ続いていたが、時間の関係でここで引き返した。

 

西側の出入口、二ノ丸橋の近くにあった公園の案内図。面積は18haで日比谷公園(16ha)と北の丸公園(19ha)の間くらいのサイズ。

 

外堀と二ノ丸堀との間の四角い帯状の土地には県庁のほかに裁判所や税務署、病院や学校、文化施設が立ち並ぶ。そんな一画にカトリック静岡教会もあった。

ここから、目指す静岡浅間神社までは500mほど。